Ando Yukari
1981年 栃木県生まれ
美大の日本画学科を卒業後、文化財修復の「彩色」という仕事と出会い、「絵を忠実に描くこと」が得意だった自分に向いているのではと考えるようになる。
そして民間の文化財修復会社での修業を経て、「日光社寺文化財保存会」に採用される。
以来、彩色技術者として400年の伝統・文化を守るため、研鑽を積んでいる。
本当に贅沢な体験をさせていただいていると、感謝しています。
例えば、絵の具一つとっても、あえて当時と同じ見栄えになるように、天然のものにこだわっているんですね。現在は色んな種類の絵の具がありますから、幾らでももっと性能の良いものを選ぶことはできます。にもかかわらず、このように天然のもので、彩色の仕事をするっていうことは他の場所ではなかなかできることではありません。時間的にも、金銭的にも難しいと思います。だから、貴重な経験をさせていただいているのだと、身に沁みて感じています。
実際の作業では、表立って見えない部分にも手を加えて彩色していくことがあります。そういうことの積み重ねが、400年もの間、東照宮が脈々と続いてきた魅力になっているとも言えるのではないでしょうか。
会うこともできない、知ることもできない、名前もわからない人達が400年も前から続けてきた一端を、私が担うことができているということにやりがいを感じますね。
自分たちの仕事っていうのは、変わり身なんですよね。
300年、400年前の人の心意気・気持ちを心に背負って、その上で、昔の人の仕事を復元させていただく、というのが私達の仕事です。
彩色の難しさは、動物たちがまるで生きているかのように表現することです。
活け彩色というのですが、そういう技術を昔の職人たちの高いレベルで身につけることが必要です。
我々と昔の人とではものの見方が違うんですね。まっすぐの線も、わざとまっすぐに書きません。最初と最後に力が入って、またためて、というように抑揚があるんです。丸を書くときも、ただコンパスで書いたような均一な味気ない丸ではないんです。
安藤さんは他の人とはちょっと違うな、という雰囲気があります。ただ単に絵を描くだけじゃなくて、そのものの奥に何か深みのある考え方を持っているのを感じますね。
取材中、特に印象的だったのは、安藤さんの目。
国宝と向きあい、細やかに筆を入れていくその眼力は職人そのもの。
少しでも違和感があれば、躊躇なくやり直す。
かといって、どうしても納得のいかないところがあれば、親方に教えを請うという素直さも持っています。
大森さん・安藤さんの若き職人二人によって修復が施された蹴込彫刻が透塀に戻されるのは2012年春とのこと。
日光東照宮の一部として収められる日が来るのが楽しみです。
「日光東照宮」らしい煌びやかな彩色は、天然の〝岩絵の具〟と〝金〟で描かれている。
〝岩絵の具〟は大変貴重な上、風雨への耐久性も弱く、本来は屋外の装飾には適していない。
しかし、あえて400年前と同じ手法を継承し、現在も〝岩絵の具〟を用いることで、独特の極彩色を再現している。
この難しい彩色を施して剥落した色の修復し、絵を再現するのが「彩色職人」の仕事である。