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#056

石川県山中漆器 木地師
田中 瑛子

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山中漆器 木地師きじし
田中 瑛子

Tanaka Eiko
1983年 愛知県生まれ

愛知県安城市で生まれた田中さんは、高校時代から陶芸や漆器などに興味を持ち、大学では漆芸を専攻。

卒業後、「石川県立山中漆器産業技術センター・挽物轆轤ひきものろくろ技術研修所」で2年間学ぶ。

その後、研修所で講師をしていた山中漆器 木地師の中嶋虎男師に弟子入りを志願し、24歳で弟子入り。

5年間の修業を経て山中漆器 木地師として独立し、より高度な技術の習得に日々、邁進している。2012年にはニューヨークで作品展を開催。

石川県加賀市 山中温泉。
この1300年の歴史を持つ出で湯の里で生まれた伝統工芸品、「山中漆器」。

田中 瑛子さん インタビュー
「山中漆器 木地師」になろうとした、きっかけは?

子供の頃から、手先が器用なほうで、図画工作などの美術が好きでした。
小学校の時、先生から「将来なりたいものは?」と聞かれ、友達はパイロットや花屋さんなど具体的な職業をあげていたのですが、私は「自分しかできないことがしたいです!」と答えました。それを知った母に褒められたんです。めったに褒めない母でしたから、今でもその時のことはっきり覚えています。

高校生になると漆の工芸品に興味を抱くようになって、大学では漆芸を専攻しました。
数ある漆器の中で「山中漆器」に惹かれたのは、濃い赤や黒の漆の色合いはもちろん、「自分が作りたい型にできる」という点です。

そして、卒業後は、「石川県立山中漆器産業技術センター・挽物轆轤ひきものろくろ技術研修所」に入所し、そこで講師をしていた師匠の中嶋虎男先生と出会い、先生の高度な技術に接し、弟子入りするのはこの方しかいないと願い出たんです。

いよいよ木地を形にする。
木地師は、轆轤ろくろを使って木を削ることを「挽く」と呼ぶ。

どんな「山中漆器木地師」になりたいですか?

中嶋先生の工房に出入りするようになり、先輩職人さん方のレベルの高さに圧倒されました。作業の早さ、正確さ、すべてにおいて卓越していて、プロの現場の厳しさを痛感しました。

先生、先輩の指導のおかげで、なんとか独り立ちさせてもらいましたが、まだまだ勉強の日々です。将来、どんな作品を作ることができるかは、まだわかりませんが、今作っている一つひとつが将来へのステップだと思います。

私の作品を通して山中漆器の素晴らしさを、少しでも多くの皆さんに知ってもらいたいと思っています。

そのためには、より魅力的な作品を生み出さなければなりません。そして、多くの人に作品に触れてもらえる努力をしていきたいと考えています。

2011年、2013年にはニューヨークで作品展を開き、外国の方にも「山中漆器」を知ってもらうことができました。今年もニューヨークで作品展を開く予定です。日本に限らず外国にも目を向けていきたいです。

もっともっと成長するためにも、修行時代を忘れず精進していきます。

田中 瑛子さん
弟子
田中 瑛子さん
師匠 中嶋 虎男さん
師匠
中嶋 虎男さん

師匠 中嶋 虎男さん
インタビュー

田中さんは、どんな職人ですか?

彼女の第一印象は「この子やるな…」と思いました。

当時、女性で木地師を目指す人はいなかったので、特に印象に残りました。

男の中に混じっても負けていませんでしたし、覚えも早く、私が常に言う「丁寧な仕事」を最初から実践していました。

それと、何より山中漆器に対する思いや、優れた木地師になりたいという意気込みが他の生徒より強かったと思います。

私の工房にいた頃、私と同じ物を一緒に作ったことがありました。1時間で私が30個作るところを彼女は最初10個作るのがやっとでした。しかし、次やる時は20個、25個と確実に増やしていきました。

壁にぶつかることもあると思いますが、これからも若い人の感覚で自分なりの新しい作品を生み出していってほしいと思います。

取材を終えて

取材中、田中さんの兄弟子から、彼女について聞くことができた。

「最初は大丈夫かな?と心配しました。でも、どん欲に技術を習得しようと努力する姿に、むしろ感心させられました」。そんな姿に兄弟子は、久々に教えがいのある子が来てくれたと確信し、後輩の育成に真剣に取り組んだとのこと。

「師匠より厳しかったと思います。私のこと鬼に見えたかもしれません。でも彼女は泣きながら、絶対に諦めず最後までやり遂げていました。成長するのが目に見えてわかり、本当に教えがいがありました。」と、楽しい思い出のように当時を振り返っていた。

教える者の厳しさと身に付けようとする者の信念によって、卓越した技術は、この小さな山間の街で、確実に継承されていく。

山中漆器

山中漆器やまなかしっき

石川県加賀市の山中漆器は、安土桃山時代に越前の国から加賀市山中温泉の集落に木工を行う木地師の職人集団が移住してきたことに始まる。

その後、山中温泉の湯治客への土産物として作られ、江戸中期からは京都、金沢、会津から塗りや蒔絵の優れた技術を導入して木地、塗り物の産地として発展してきた。

縦木取りたてきどりなど山中独自の木地挽物技術には、薄挽きや加飾挽きなど優れたものがあり生産量においても全国でも群を抜いている。