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#083

愛知県太鼓師 朝倉 慶介

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太鼓師 
朝倉 慶介

Asakura Keisuke
1990年 愛知県生まれ

高校入学の際、先輩の和太鼓演奏を見た瞬間に魅了され、和太鼓部に入部。海外公演などに参加。大学に入り、「和太鼓チーム 零 ~ZERO~」に加入。同時に「和太鼓の音」にも興味を持つようになる。

和太鼓の音を自らの手で作ってみたいと、創業150年の老舗「三浦太鼓店」で太鼓師の道を歩き出した。

「活きた和太鼓の音」にこだわり、職人として和太鼓奏者として修行に勤しむ日々を送る。

愛知県岡崎市。 今からおよそ400年前、徳川家康はここ岡崎城で生まれた

朝倉慶介さん
インタビュー

活きた和太鼓の音

叩くと絶対に「ドーン!」と音がします。ドーン!という一つの音だからこそ、和太鼓には音の深さがあります。その和太鼓の音が好きなんです。それを教えてくれたのが三浦太鼓店の太鼓で、この音を届けたい!と思いました。和太鼓奏者として、また職人として。

太鼓を作っている時は、楽器を作るというより、「0(ぜろ)から音を育てる」という感覚です。一つひとつの作業が、全て音に関わるので気を抜けるところはありません。

一発の「ドーン!」にこだわり、腹の底に響くパワーが宿る音作りに励んでいます。僕の生み出した「活きた和太鼓の音」が100年後にも響き渡っていると良いですね。

和太鼓。時に激しく、時に穏やかに日本人の心を揺さぶり、その響きは神々に願いを届けてきた。

五代目 彌市やいち 三浦 宏之さん
インタビュー

彌市やいち…三浦太鼓店当主に受け継がれる名前

和太鼓の胴の中には、製造年月日や職人の名前、修理の記録などが書かれています。太鼓が辿ってきた人生がわかるんです。

今回、朝倉の母校の和太鼓部から修理の依頼がありました。彼が和太鼓を始めたきっかけになった太鼓です。

修理を終えた時、朝倉に修理の記録を胴の中に書かせました。これには、職人としての責任、技術の伝承などの意味があります。こうして技術が受け継がれてきました。

何十年後の修理の際、違う職人がそれを見た時、我々の技術を見て、「この技術は真似できない」とか「こんなに丁寧な仕事をしているのか」と思ってもらえれば、こんなに嬉しいことはありません。そう思ってもらえるような和太鼓を作り続けたいと思います。

竹を巻き終えた金輪に皮を張っていく

六代目 彌市やいち 和太鼓 零~ZERO~ リーダー 三浦 和也さん
インタビュー

「零~ZERO~」は、太鼓もない、経験もない、ゼロの状態からはじめたので、高みを目指して挑戦する意味を込めて名付けました。

職人をやっていなければ、叩き方の技術、リズムだけで太鼓と向き合うと思います。

幸運なことに職人としても向き合えるので、牛の皮の使用箇所、太鼓の胴の中まで感じながら叩くことができます。

もし、どちららか一方の立場なら、こんなに太鼓のことが分からなかったと思います。だからこそ、生み出せる音があります。それが僕たちの最大の強みです。

叩いた感覚を太鼓作り、音作りに活かして、皆さんに喜んでもらえるような太鼓を生み出したいと思います。

朝倉 慶介さん

朝倉 慶介さん
六代目 彌市 和太鼓 零~ZERO~リーダー 三浦 和也さん
六代目 彌市
三浦 和也さん
五代目 彌市 三浦 宏之さん
五代目 彌市
三浦 宏之さん

取材を終えて

取材中、何度も耳にした「活きた和太鼓の音」という言葉。ずっと、その言葉が気になり、和太鼓の練習の合間に聞いてみた。

「ただ太鼓の形を作るだけなら、簡単にできるんです。でも、それだけでは和太鼓とは言えません。活きた音が響いてこそ和太鼓になるんです。自分で作った太鼓を叩くことで、仕組みや材質、もっとこうしたら良い音が出るんじゃないか?と太鼓が教えてくれるんです。だから太鼓を作るし、叩くんです」。

「活きた和太鼓の音」とは、本物の音を生み出したいという想いが音になったのかもしれない。和太鼓と会話をするように全身全霊で叩く、彼の熱い眼差しを見てそう感じた。

和太鼓

和太鼓

和太鼓の歴史を紐解くと、一説には縄文時代に原型があったとされる。

古来より神事や祭礼において、また伝達手段として重要な役割を担ってきた。近年、伝承・伝統音楽としてだけでなく、新たに創作太鼓が加わり、音楽の一分野としても確立されている。