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#085

神奈川県箒職人 小林 研哉

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ほうき職人 
小林 研哉

Kobayashi Kenya
1986年 静岡県生まれ

幼いころ、福島に住む祖父が作っていた ほうき に興味を抱く。

高校卒業後、地元静岡の企業に就職し、結婚。中津箒の美しさと機能性に魅せられ、サラリーマンを辞め職人を志す。

現在はホウキモロコシの栽培から完成まで、昔ながらの手仕事による製作技術を身に付けるための修行に励んでいる。

神奈川県愛川町中津。
夏、一面に広がるホウキモロコシの畑。

小林研哉さん
インタビュー

中津箒の魅力

中津箒を初めて見た時、その美しさに衝撃を受けました。青々とした穂先。均一な模様の細やかさ。すべてに心を奪われ、「こんな箒を作りたい」という憧れを抱きました。

柔らかな穂先、素材のホウキモロコシの栽培から完成まで、徹底した手作業にこだわっているのも大きな魅力です。昔ながらの作業風景は、日本の原風景を見ているかのようで、どこか懐かしさを感じさせます。実際に職人になり、箒の奥深さを知れば知るほど中津箒に夢中になっていきます。

箒は昔の道具というイメージを持たれがちですが、実は現代の生活にとても合っているのです。まずは多くの人に使ってもらいたい。そのためには「使ってみたくなる箒」を作るしかありません。

あの日、僕が魅了されたように「美しく機能性を兼ね備えた箒」を作っていけたらと思います。

日本の畳文化を支える道具、箒。

中途半端な職人にはなれない

僕が職人を続けられるのは、妻・真実のおかげだと思っています。

職人になるには、妻を地元の静岡に残し、愛川町に単身赴任して修業をするしかありませんでした。そのことを悩んでいる時、妻が背中を押してくれました。それで職人になる決心がついたのです。

だからこそ、途中で投げ出したり、中途半端な技術では帰れません。「『本物』の腕を身につけてから帰る」と心に決めています。それが彼女に対する何よりの恩返しだと思っています。

ホウキモロコシの栽培も箒の製作も、まだまだ勉強中です。箒の世界は決して易しいものではありません。道のりはまだまだ長いですが、オリンピックのメダリストが金メダルを取って凱旋するように、僕は中津箒を持って凱旋したいと思います。

脚を踏ん張り、全体重をかける。締めれば締めるだけ強度が出る。

師匠 山田 次郎さん
インタビュー

職人としての小林さん

箒をよく研究しているし、とても熱心です。箒にまじめに取り組む姿勢には、いつも感心させられます。

彼の箒作りは、畑の土いじりから始まっています。すべては良い箒を作るためです。「種まき」から「収穫」、「天日干しなどの素材作り」まで、どんなに大変な作業も手を抜かず丁寧に。毎日たくさんの汗を流しています。だからこそ彼が作る箒には、彼の人柄が出ているのでしょう。細かいところまで本当に丁寧に作られています。

若い人たちの活躍のおかげで、あと50年、中津箒は安泰ではないでしょうか。私の技術はバトンタッチできたと安心しています。彼にはあと50年、汗を流し続けてほしいと思っています。

後輩職人 杉原 優子さん
弟子
小林 研哉さん
先輩職人 志浦 健治氏
師匠
山田 次郎さん

取材を終えて

今年の夏は、「小林さんとの夏」というくらい長い時間を一緒に過ごしました。

毎日、少しずつ日焼けをして、精悍さが増していく小林さん。そんな小林さんから箒に関する様々な知識を学びました。

小林さんの作る箒は、言葉では言い表せないほどの「優しい掃き心地」。畳の上を滑るというか、撫でているというか、掃いているコチラまで優しい気持ちにさせられます。

この箒には、部屋も心もキレイにしてくれる、そんな不思議な力があるようです。

中津箒

中津箒

明治のはじめに誕生。かつては中津村(現 愛川町)の一大産業だった。

最盛期には年間50万本を出荷。職人が素材であるホウキモロコシを無農薬栽培し、昔ながらの製法で一本一本手作りしている。穂先が柔らかいため、畳やフローリングなどを傷めない。単なる生活用品を超え、生活に彩りを与えてくれる。