Minami Maya
1988年 神奈川県生まれ
美術系の短大を卒業後、染色と織物の技術を学ぶため専門学校に進学。
専門学校を卒業後、秩父市の「地域おこし協力隊」として「秩父銘仙」のプロモーションに関わり、この時、伝統工芸士・北村久美子さんと出会う。
その後、伝統的な北欧織の織紋様技術を学ぶため、スウェーデンに留学。留学中、北村さんから誘いを受け、帰国後、秩父太織の工房「Magnetic Pole」を共に立ち上げた。
現在は、秩父太織と北欧織の技術を融合した製品作りを行い、秩父太織の新たな可能性を追求している。
もともと学生時代から織物の勉強をしていました。就職する時にあらためて考え、「自分は何より蚕が好き」と気付きました。専門学校時代は、蚕を自宅で飼っていたほどですから。
それで、絹織物に関わる仕事をしていきたいと思い、その時たまたま「地域おこし協力隊」の秩父銘仙プロモーション要員を募集していることを知り、秩父にある「ちちぶ銘仙館」へ行ったんです。
そこで、蚕の繭から糸を作る座繰り引きのデモンストレーションをしていたのが、今一緒に仕事をしている北村さんでした。まさに運命の出会いでした。
その時、北村さんは秩父太織について熱く語ってくれたんですが、北村さんの秩父太織への情熱はものすごくって、秩父太織もさることながら、その人柄に心を奪われました。
さらに、大好きな蚕に関われて、繭から製品になるまで1人の職人が行うなんて、夢のような仕事だと思いました。
私は3年間「地域おこし協力隊」の仕事をした後、もともと興味があった北欧織を学びにスウェーデンに留学しました。
その留学先に北村さんからお手紙が届きまして、「帰って来たら一緒に働きませんか?」って書かれていたんです。もちろん二つ返事でOKしました。
あとで聞いた話ですが、秩父太織と北欧織は絶対にマッチするって、北村さんは感じていたようです。
はじめて訪れた秩父で偶然出会い、はじめて秩父太織を教えてくれた方です。秩父で働くようになってからも、会えばいつも笑顔で、優しく接してくださいました。
今では仕事のパートナーであり、いろいろと技術を教えていただける師匠のような存在です。北村さんは、「師弟関係ではない!私たちはパートナー!」と仰いますが…。
職人としての先輩だけでなく、人としても尊敬できる、人生の先輩のような存在ですね。
ですから、北村さんに声をかけていただけたことは、正直にすごく嬉しくて、北村さんの力になれるなら、是非やりたいと思いました。二人で「Magnetic Pole」として、これからは世界に通用する品を作っていきたいです。
秩父太織の技術と、北欧織の技術を融合すれば絶対に新しいものができると思っています。
こんなに秩父太織にのめり込めたのも、全て北村さんと出会えたからです。
本当に感謝感激雨霰です!
「秩父地域おこし協力隊」として出会ったのが最初でしたね。
任期の間、大変なこともあるはずなのに、困難は勉強を重ねてクリアし、人前に出る時は笑顔を絶やさないというスタイルがとても魅力的で印象に残ったんです。
スウェーデンに留学にいくと聞いたので、留学期間中に「もしよかったら帰ってきたら一緒に工房をやりませんか?」と聞いてみました。
やってくれることに決まった時は、本当に嬉しかったですね。
本人としては、お手伝いをすればいいのかぐらいで構えていたらこちらが本気だったので、びっくりしたかもしれませんね。
でも、待った甲斐がありました。技術力も確かですし、これから秩父太織を展開していく上での起爆剤のような存在になってくれるのではないかと思っています。
南さんと北村さんが並んでインタビューを行った時、北村さんが亡くなったご自身の師匠・石塚さんのお話をされ、涙を流されたことがありました。
すると、横にいた南さんも目に涙をいっぱい溜め話に耳を傾けていました。
聞けば、南さんは北村さんの師匠には一度も会ったことがないそうです。
北村さんは、そんな人の気持ちが分かる彼女だからこそ、あえて師弟関係を結ばず、いつでも気楽に話せるパートナーでいたいと思っているのだと感じました。
仲よしな2人ですが、仕事の時は一点集中。楽しむときはトコトン楽しむメリハリがある工房。
本当に毎日訪れるのが楽しみな取材でした。
秩父太織とは、国指定伝統的工芸品である「秩父銘仙」のルーツにあたる織物。繭から絹織物へ仕上げるまでのすべての工程を手作業で行っている。
その始まりは江戸時代。肥沃な土地であった秩父地域では養蚕が盛んに行われていた。蚕が成長し、繭となる過程で出荷できない「規格外」の繭ができる。そんな規格外の繭を使って養蚕農家が糸を作り、自分たちの作業着用に作ったのが「秩父太織」のはじまりと言われ、素朴でシンプルな作りだが、丈夫で使えば使うほど風合いが増すことが評判となり、江戸を中心に広く知られるようになる。
しかし、秩父銘仙の誕生により、その存在は薄れ、製法が伝承されることなく途絶えてしまう。そんな秩父太織を復興させたのが、石塚 賢一さん(北村さんの師匠)だった。現在、秩父太織はほとんど市場に出回ることがなく、幻の絹織物と称されている。