Abo Masafumi
1983年 青森県生まれ
津軽系伝統こけし工人の阿保 六知秀さんを父に持つ。幼い頃から絵を描くこと、ものづくりが好きで、中学生になった頃から「いつかこけし工人をやろう」と思っていたが、高校に入ると「こけし工人は大変だ」と感じるようになり気持ちが揺らぐ。まずは就職して、そのうちやれればいいと考え、地元の大学の農学生命科学部に進学。卒業後も関連した仕事に就きたいと考えていた。
しかし、大学3年になり、就職活動をしている時「本当にやりたいことは何か」と考え、心にあった「こけし作り」をまずやってみても良いのではと思い直し、こけし工人になることを決意。2005年4月、父・六知秀工人から学びはじめ、津軽系伝統こけしの未来を切り開こうと日々技術の向上に努めている。
子供の頃から父の仕事を「いい仕事だなぁ」と思っていました。こけしづくりは大変そうだと感じていましたが、お客さんと直接やりとりしている雰囲気を見て、憧れましたね。
自分は大学に進みましたが、就職を考える時期になっても「何をやりたいのか」がはっきりしませんでした。こけしづくりは、他の仕事をしてからでもできるという気持ちもあったのですが「いつかやるくらいなら、すぐにやった方がいいんじゃないか」と思い、飛び込みました。
こけしは、木の削りから、模様や顔を描くことまで全て自分一人での作業になります。ですから、完成品にはそのままの自分が表れると思っています。
よく見てくださっているお客さんは細かい変化にも気づいてくれます。こけしを見て、「荒れてるね、よくないね」と言われないようにするには、自分の生活や精神を整えておくことが重要です。
お客さんが、できたものを喜んで持っていってくれるのが、何よりもの喜びですね。
津軽こけしは、自分にとっては偉大なものと言えます。
この土地に、いろんな人が注目してくれたのは、こけしがあったから。創始者の盛 秀太郎さんが真摯に作ったおかげだと思っています。その気持ちを私たちも忘れないようにしたいですね。盛 秀太郎工人の作ったこけしは、万人が見ても魅力的なものだと思います。バランスと均整が取れており、こけしを詳しく知らない人からも「かわいい」と言われます。こけし好きの人にはもちろん、もっともっといろんな人に知ってほしいですね。
そして、古くからの伝統を大切に守りつつ新しい感性もどんどん取り入れて、魅力的なこけしを作っていきたいと思っています。創作こけしをつくるといっても、変えてはいけない大事なものがあります。そこはブレないようにして、新しい自分の色も入れていきたいですね。
とっかかりは中学でこけしクラブに所属したことでした。ものづくりが好きで、何かやりたいなと思っていた時に、おもしろ半分で入ったのがこけしクラブです。 中学を卒業した後、住み込みで6年、通いで6年、あわせて12年修行しました。独立しても、周りから一人前だと認めてもらえるように師匠は10年以上身内に置いたんだと思います。師匠は精神が堅牢でしたね。厳しく、精神が凛としてないと良い仕事はできないというのが信条でした。
私がお客さんを相手にし始めた頃は、「私のでよければどうぞ買ってください」という対応の仕方でよかったんです。ですが今は、お客さんの求めているものが何かと考える必要もあります。また、お客さんの要望のものだけを作っているのでは伝統が廃れてしまいますから、津軽こけしの伝統的な趣、形、色合い、作風…ここのこけしの良さを忘れて欲しくないですね。津軽の伝統を伝えていかなければならないですよね。
ロケ最終日に、津軽こけし館の「ポケットこけしパーク」というイベントの様子を取材させていただきました。
全国100名以上の伝統こけし工人が製作する、4寸(約12cm)以下のこけしを展示・即売するイベントだったのですが、9時開館にもかかわらず、その1時間前には長蛇の列が。こけしイベントで開館前に人が並ぶのはよくあることで、大きいイベントとなるともっとたくさんの人が並ぶこともあるそうです。
多くの人が自分好みのこけしを吟味し、愛おしそうに手に取る様子は至福の時間のように思えました。皆さんのこけし愛を肌で感じることができた瞬間でした。
こけしとは、東北地方固有の郷土玩具で、轆轤で挽いた木製の人形。
産地によって11の系統に分けられるが、津軽系伝統こけしは1本の木から頭と胴全てを削り出す〝作り付け〟という技法で作られる。
オカッパ頭にくびれた胴。
描彩(絵付け)は、アイヌ紋様に影響を受けたといわれる美しいアイヌ模様や津軽家の家紋である牡丹の花、ねぷた絵のダルマなどが特徴。
11系統の中では最も歴史が浅いが、その分 表現様式が多彩で各工人の個性が色濃く表れることでも知られている。