Kawai Mikiko
1987年 岐阜県生まれ
母方の実家は岐阜市加納地区の老舗和傘問屋「坂井田永吉本店」。小さい頃は毎週末のように工房に遊びに行っては、和傘職人だった祖母、そこで働く職人さんたちの手仕事を見て育った。和傘が日常に溶け込んだ幼少期を送ったが、大学卒業後は東京で就職。その後、税理士事務所の職員として働いていた。2015年頃、伯父 坂井田永治氏に「和傘作りを手伝ってみないか」と声をかけられたのがきっかけで「坂井田永吉本店」で和傘の道へ進んだが、1年ほど経った頃、母が病気になり、実家の新聞店を手伝うために退社。深夜2時から新聞配達の準備が始まる毎日だったが、せっかく始めた和傘作りは空いた時間を見つけて続けてきた。母の体調も良くなり、3年前には自身のブランド「仐日和」を立ち上げた。新聞配達と2束のわらじで続けてきたが、現在は和傘作りに専念している。
細身とか繊細って言われるんですけど、私は佇まいがすごく美しいと思っています。閉じたときの姿とか、もちろん開いたときも。一般的な洋傘に比べて扱いに少し手間はかかるんですけど、その美しさも合わせて見ていただきたいと思います。
あと和紙が光を通すと、差している人から見る和紙の質感とか色合いと、外側から見たときの表情が違うので、それも楽しんでもらえると思います。
また糸かがりは洋傘にはない魅力の一つです。目の前で見ることができるのも差している人の特権ですね。
大きく二つのことに注意していただければ大丈夫です。
まず傘を立て掛けるとき、普通の洋傘は持ち手を上にして置きますが、和傘は持ち手の部分をそのまま下にして置いてください。もう一つは雨振りで使ったら、直射日光の当たらないところで乾かしてから閉じることです。この二つを守っていただければ結構長く使っていただけます。「扱いが難しそう」という声も聞かれますが、慣れたらそんなことはないですよ。
小さい頃は、親戚の工房に和傘職人さんが何名もいらっしゃって、たくさん出荷している姿を見てきました。それには及ばないまでも地場産業として活気があった頃に近づけるように職人として頑張っていきたいと思います。
私の場合は、ベテランの職人さんとか先輩職人さんに貴重な技術をいろいろ教えていただいたので、自分もゆくゆくは新しい職人さんの育成に取り組んでいけたらと思います。
いま存在している和傘って、えごの木と竹と和紙と油で出来ているんですけど、私にとって継承すべきものは「そこ」だと思っています。
素材をいろいろ変えて作る方法もあると思うんですけど、出来る限り自分が作っている間は、その材料で作りたい。それで「どうしてこれらの材料で作られているのか」というのが繋がっていくと良いなって思います。例えば、竹の節を利用して作った関節。親骨の中節に小骨を割いて挟んでつなぐ事で傘の開閉ができる強度が保てるんです。他にも和傘には先人の知恵がたくさん詰まっているので、その部分は残していかなければと思っています。
今後、材料の入手は難しくなっていくと思いますが、そこは必死で守っていきたいです。
和傘作りには油を塗った後に乾かす作業があり、天気の良い日に外で干します。昔はこのあたりの一面に傘干し場があって、たくさんの傘の花が咲いた風景は、とても華やかで綺麗でしたね。
そして昔の職人さんは腕を磨き、競い合ってました。一本一本の骨先を割いて松葉のようにして作った松葉傘というのがあったんです。親骨松葉、小骨松葉がそれぞれあって美しさを追求したんでしょうね。
歌舞伎、舞踊、神社やお祭り。傘はいろんなところで使われてますんで、日本の文化が消えないよう、皆で頑張っていかなければと思います。
河合さんには傘作りを続けていただくという僕らのお願いと同時に、新しい世代へ繋いでいただきたいという希望があります。河合さんは若い感性をご自分の製品に反映しておられます。新しいファンがついておられると思うんです。すごいことだと思います。
僕らは本当に一部の部品しか作ることができない職人ですから目立たないように。この柄やロクロは傘からしたら目立たない存在ですが、職人の皆さんに傘作りをなんとか続けていただけるようにやっています。この手元ロクロのように下から持ち上げて支える。そういうつもりで仕事をしています。
「美しい!」これが初めて岐阜和傘を手に取ったときの感想でした。
恥ずかしながら和傘、それも蛇の目傘を実際に手にしたことがなかったので、開き方さえも良く分かりませんでした。今の時代、見たことはあってもそれを差す(しかも実際に雨の日に)という経験はなかなか得られないのではないでしょうか?
「柄を持ったら少し手首を返して傘を遠心力で開かせて、手元ロクロまで手が入るようにして開くんです」取材でお世話になった和傘CASAの河口店長に教えていただきました。和紙に手が当たらないようにする為だそうです。そうした所作も新鮮でした。
閉じている時には、綺麗に折り込まれた和紙が全く見えない、まるで竹林に立つ一本の竹のようなツルっとした姿。それでいて開くと全く違う鮮やかな和紙と美しいシルエットの花が咲く。一本一本丁寧に作られた和傘の魅力にあっという間に引き込まれました。
「開けば花、閉じれば竹」と謳われる、細身で繊細な美しさを纏う伝統の和傘。
岐阜市加納地区で江戸時代より作り続けられている。1639年(寛永16年)松平光重が加納藩主となる際に傘職人を招いたのが始まりとされる。
長良川流域は、原料となる良質な美濃和紙や竹、柿渋、えごま油が豊富に入手しやすかったことから地場産業として栄え、明治~昭和20年代には、月に100万本を超える生産量を誇っていた。徹底した分業により発展してきたこの和傘は、細かく見れば100もの工程があるといわれ、10人以上の専門的な職人の手により、完成まで数ヶ月の手間をかけて作られてきた。
かつては600軒以上あった傘問屋も現在は3軒を数えるのみだが、いまも全国の和傘生産量の8割をここで担っている。