Yokoyama Keitaro
1990年 宮崎県生まれ
三代目 横山黎明氏の長男として生まれる。
物心ついた頃から工房に出入りし、木材や竹材で遊びながら道具としての使い方を覚えていった。
工房を継ぐかどうかという話が出たことはなかったが、学生時代に周囲の友人たちが就職活動を進める中で「自分は弓師になる」という思いが何処かにあったという。
大学卒業後、自らの見聞を広めるため、オーストラリアでワーキングホリデーを2年間経験。
帰国後、正式に工房に入り、四代目 横山黎明の名を継ぐべく日々修行に励んでいる。
弓を作るというよりも、日本に昔からあるものを継ぐ一人の担い手としてそれを仕事にできることです。
小さい頃はそれが当たり前だと思っていましたが、貴重な仕事であることに気付いて徐々に魅力を感じていきました。
体力的にも大変だし、竹を燻して色をつけるのに何年もかかったり、細かい作業も多いので楽な仕事ではないですが、お客様から「この弓で昇段することができました」と聞いたり、また祖父の代で制作した弓を今でも大切に使ってくださっている方に会ったりすると、やりがいを感じますね。
感覚に頼る部分が多いことに驚きました。削りであったり、曲げ方だったり、数値化していないものなので、とにかく体で覚えないといけない。
父の仕事を見て真似ているだけではできるようにならないんだ、ということが実際に工房に入って感じたことです。
竹や木の硬さで削り具合を調整したり、一発勝負で修正できない工程が多いので、経験を積んで感覚を掴んでいく。そこが難しいところだと思いました。
工程は一通り覚えているのですが、父と比べると技術的にはまだ点数を付けられるレベルではないと思っています。父と同じ作業をしても仕上がりが違いますので、そういう面では0%です。
息子も弓師になりたいと言ってくれているので、私が弓作りの技術を継いで息子や孫の代までしっかり継承するというのが一番です。合わせて弓道の魅力を広げていくことができればと思います。
弓師として一人前になるには10年かかると言われています。もっと早くに技術を習得する人ももちろんいると思います。
私は弟子入りして36年経っていますが、まだ自分の技術が完成したとは思っていません。
竹を弓の形にするだけなら10年でできますが、弓の評価は弓道家の方が使用した時に付くものですから、弓道家の方々が使って満足して初めて完成と言えるわけです。
慶太郎は2歳〜3歳ぐらいの頃から工房へ遊びにきて、材料や道具に触れ、大きくなっても「弓師になりたい」と言う気持ちを持ち続けていてくれました。
子供が継いでくれるということが本当にありがたかったです。
初めてお会いした時は、学生時代にバレーボールで鍛えた立派な体躯とその鋭い眼光から、気難しく大胆な方という印象の慶太郎さん。
でも実際に言葉を交わすと、ソフトな口調から発せられる弓作りへの情熱とその繊細さに圧倒された。数十年乾燥させた木や何年も燻した竹など、弓作りは一朝一夕でできるものではなく、一つひとつの工程に伝統に裏付けられた深い意味があり、数値で表すこともできない。
その習得には長い年月が必要で、8年修行した今でもまだ入り口だと語る慶太郎さんの口調からは、弓作りの伝統を受け継ぐという並々ならぬ覚悟が伝わってきた。
自己評価ではまだ10%、20%だという弓作りの腕を上げ、全国の弓道家に愛される弓を作り出すのが楽しみだ。
鹿児島県の薩摩弓の流れを汲む大弓で、全長は約221cmで世界最長の弓となる。
この地域には弓の材料となる真竹や黄櫨が多かったことと、藩政時代に島津家が弓の製造を奨励し、盛んになったと言われている。
明治時代に入ると弓の仕上げについての免許「日置流村之次第」を受けていた楠見善治が弓の材料を求めて都城地方に来住したのを契機に弓作りは更に発展、その息子 蔵吉が多くの弟子を養成したことで弓の産地としての都城を確立した。
「都城大弓」は、平成6年4月に国の伝統的工芸品の指定を受け、現在は黎明氏を含む4名の弓師が国の伝統工芸士として活躍している。