歴史や戦争に翻弄された島の宝を守り抜いてきた職人たちがいた。
今回は「沖縄本土復帰50年」と題し、これまでの放送から「琉球びんがた職人」の知念冬馬さん、「シーサー職人」の新垣優人さんをご紹介いたします。
また、お二人に「沖縄の本土復帰に思うこと」を伺いましたので併せてご紹介いたします。
Chinen Toma
1988年 沖縄県生まれ
琉球王家お抱えの紅型三宗家、知念家の流れをくむ家に生まれ、知念紅型研究所にて祖父である知念貞男の下、紅型作りに従事する。
22歳で工房を継ぎ、現在、工房の当主として若手職人の育成をするとともに、国内のみならず海外への琉球びんがたの普及、発展にも勤しんでいる。
『新たなチャンプルー文化へのバトン』
沖縄の歴史を振り返ると、元々は琉球という国であり、それが解体され日本となり、敗戦によってアメリカの統治下におかれました。沖縄は周辺諸国と時代に強く巻き込まれながら文化を積み重ねてきた土地です。
いつの時代も、どんな時でも、私たちの心には「沖縄人」、「うちなんちゅ」だという芯があり、その魂だけはいつの時代にあっても変わらないと思います。
紅型は沖縄の風土や時代など、沖縄のその瞬間の姿を映します。それが、色にも柄にもなり、職人の手を通して暮らしを照らしてきました。戦後間もない紅型は、「紅型を復興させよう、沖縄を盛り上げよう」という職人のパワーを感じ、沖縄の色を守ろうとした職人のエネルギーが溢れています。紅型は、まさに「沖縄のこころ」の象徴だと思います。
先人が守り、残してくれた「沖縄の色」を丁寧に染め続け、工芸の力で沖縄を盛り上げていきたいと思っています。
Arakaki Yuto
1994年 沖縄県生まれ
代々、家族でシーサーや沖縄の焼き物やちむんを作ってきた「窯元 やちむん家」に生まれる。
元々、職人になるという考えはなかったが、大学在学中、京都の清水寺に奉納された父・光雄さんの龍を見た時に、その造形の迫力と技術の高さに感動し、シーサー職人になることを決意する。
現在は「手にした人が幸せになるように」との気持ちを込め一体一体の制作にあたっている。
『沖縄に生まれた誇りを取り戻した日』
戦後、日本から切り離され、沖縄にとって激動の時代が始まりました。しかし一方で、沖縄に生まれた誇りを揺るぎないものにした時間だったと思います。先人たちは戦後の廃虚から立ち上がり、本土復帰を果たすまで、失われる危機にあった沖縄の文化を守り抜きました。そのエネルギー源の根幹は「沖縄県民であることの誇り」と「郷土愛」だと思います。
僕がシーサーを制作する上で大切にしているものが「沖縄の土」です。それを使うことで沖縄への愛、シーサーに対しての愛が生まれてきます。土を触っていると、自分のルーツは沖縄にあると感じることができます。
これからも沖縄に生まれた誇りや先人が背負った歴史の記憶をシーサーに込めていきたいと思っています。