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石州和紙職人
菊地 悠

Kikuchi Haruka
1995年 神奈川県出身

子供の頃から漫画家やアニメーターになる夢を持ち続け、高校はデザイン科に進学した。
在学中、課題に使用する紙を探している際、和紙の魅力に気づき、引き込まれる。そして、進路に悩んでいた時に「和紙職人」の存在を知り、職人になるために京都伝統工芸大学校に進学、和紙工芸を専攻した。和紙について一から学んだのち、石見の石州和紙職人後継者育成制度によって、西田和紙工房で研修をスタートさせる。
3年の研修期間を終え、正式に職人となり、現在は西田氏のもとで石州和紙を支える職人となるため、日々研鑽を積んでいる。

乾燥させたこうぞを水に浸けて柔らかくした後に、表面を削り、煮る。
石州半紙の強靭さの秘密は、ここで甘皮を残すこと。
紙が出来上がった時、甘皮が表面に残ることで強さは増し、破れにくくなる。

菊地 悠さん インタビュー
和紙職人をめざして

和紙に限らず紙袋や包装紙が好きで、気に入ったものを集めていたりしたのですが、和紙を手作りしている人がいることを知って、和紙職人になりたいと思い京都の学校へ行きました。
紙漉きは全く未経験だったので、学校での紙漉きの授業はとにかく新鮮でした。
就職する際、先生から「10年は下働きだと思って行きなさい」と言われたんですが、工房では割と早く紙漉きの仕事を任せていただいたので、想像していた苦しさはありませんでした。もちろん楽な仕事ではありませんが、好きなことを毎日しているのでつらいと思うことはないですね。

一流の職人になるために

学校では先生から「言われたものを作るのが職人で、自分の作りたいものを作るのがアーティスト」と教えられてきました。「こういう紙がほしい」との要望は、状況によって全然違うので、言われたことに対応できる職人になりたいです。
また、工房は分業制で、厚さや大きさで職人が分かれていますが、将来的には今やっている紙以外もできるようにならないといけないですし、まだまだ材料や気温などの環境に振り回されている状態なので、環境に合わせて安定して製品を作れる職人になりたいですね。

煮て洗った楮の繊維を叩きほぐし、つなぎとなるトロロアオイと混ぜ合わせ、紙を漉いていく。
簀桁すげたを手前に当てて調子をかけていくことで繊維が一方向になり、破れにくくなる。

石州和紙の後継者として

紙の職人さんって、自分の作った紙がどこで消費されているかわからない人も結構いると思います。でも、石州和紙の場合は、地元で一番盛り上がっている神楽で使われるので、使われているところを自分の目で確かめられることが嬉しいですよね。職人の目の前で消費されることは、そうそう無いと思うので、そこにとてもやりがいを感じます。
将来何があるかわからないですが、せっかくここまでやってきたので、自分が納得するまでこの道を突き詰めていきたいです。
人の先に立って引っ張っていくのは得意ではないので、産地を後ろから支えていけるような職人になりたいです。

菊地 悠さん
石州和紙職人
菊地 悠さん
西田 誠吉さん
石州和紙職人 伝統工芸士
西田 誠吉せいぎさん

師匠 石州和紙職人 伝統工芸士
西田 誠吉せいぎさんインタビュー

菊地さんは地道な作業も好きでやるし、気持ちに強い芯があるから「職人」という仕事は性に合っているんじゃないかなと思います。うちは文化財の修復用の紙を主にやっていますから「文化財に使える紙を漉ける職人になってほしい」と思い、最初は同じ厚みのものを一日中漉いてもらったり、とにかく作業を詰め込んでやってもらいました。
これからは自分の作りたい紙を作ったりしながら、染色や内装のことも学んで、一つでも多くの要望に応えられる職人になってほしいと思います。
若い人たちはこれから伝統的なものを作り続けるだけではなく、時代に合わせて新しいものを作っていくわけですから、自分の発想や、やりたいことを大事にして、経験を積んでいってほしいです。

取材を終えて

取材前、師匠の西田さんに「キクちゃんはシャイだからよろしくね」と言われ、寡黙な方なのか…と不安を覚えた。ところが取材を始めると、シャイだが芯のあるコメントが返ってくる。照れ隠しで笑い混じりになることもあるが、思っていることがしっかりと伝わってくる。私の不安は杞憂に終わった。
他の方に聞いても、一様にその仕事ぶりや行動を褒めていた。
「恥ずかしがり屋さんだけど、力はすごいですよ」
「自分からはあまり話さないけど、仕事はきっちりする人です」
自身の将来について「前に出るのは苦手だけど、後ろでどっしり構える職人になりたい」というコメントも実に悠さんらしい。きっと彼女は石州和紙に欠かせない職人になるだろう…そんな思いを抱いた取材だった。

石州半紙

石州半紙

島根県の石見地方で作られる石州楮せきしゅうこうぞを原材料とする手漉きの和紙。微細な繊維で作られる和紙は「水につけても破れない」と言われる強靭さをもつ。
約1300年前、柿本人麻呂によって石見の民に紙漉きが教えられたとされている。
江戸時代には浜田藩(現在の島根県)の奨励産業となり、主にその強靭さから商人の帳簿に使用されるようになる。
1969年(昭和44年)石州半紙技術者会が製造する「石州半紙」が国の重要無形文化財指定を受け、2014年(平成26年)ユネスコ無形文化遺産として「日本の手漉和紙技術(石州半紙、本美濃紙、細川紙)」が登録された。
現在は4軒の工房で、その伝統的な技術が受け継がれている。

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