Miehina
1988年 京都府生まれ
母が宮川町でお茶屋を営んでいた関係で、中学1年の時に宮川町へ移り住む。
その頃、舞妓への憧れはなかったが、「人とは違うことをしてみたい」という気持ちもあり、中学卒業と同時に舞妓の道へ入る。
一流の芸妓を目指し、舞妓として修行を積むこと5年。
2009年秋、晴れて芸妓となる。
母がお茶屋さんをやっておりましたので、「舞妓さんになってみいひんか」と言われたのがきっかけどす。
舞妓さんのことは「綺麗やなぁ!」とは思うとったんどすけど、最初のうちは実際になりたいという関心があまり持てへんかったんどすね。
どういう生活を送っているかとか、その厳しさを知れば知るほど、「自分はこんなところではやっていけへん」と思っていましたね。
ですが、中学3年の時に、高校に行くのか、舞妓さんになるのか、と聞かれて、やります言うて決意したんです。
というのも、高校に進学してもお会いできる方って限られてますやんか。そやけど、舞妓さんやと、いろんなご職業、年齢の方とお話させてもらえる。そうしたら、この先どんどんいろんな道が開けてくるんやないかと思ったんです。
皆さんは高校に行くけど、私はちょっと一歩先に社会勉強する、というつもりで舞妓さんをしっかりやっていこうと思いました。
衿替え(舞妓から芸妓になる儀式)の日を迎えられたことをほんまにうれしく思います。
彼女は一度だけ心が迷ったことがあったんです。その時に、姉(芸妓)さんがまず開口一番に「怒らんといてあげてや」って言うてくれてはりました。
本当だったら、もっと怒らはらなあかん立場にある人がどうしてそう言うてくれはったか。
それは、彼女とおんなじ方向向いて、彼女の立場になってものを考えてくれてはるからなんですね。
そういうふうに、人としての支えあう気持ち。これが私達の持ってる素晴らしいものだと思っています。
ですから、彼女にもこういうものを伝えていってほしいですね。
華やかで独自の世界を築いている花柳界。そこに身を置く舞妓や芸妓に、憧れの目を向ける人は少なくありません。
しかし、一点の隙もないように見える彼女たちの姿は、決して表に出すことはない努力の積み重ねによるもの。今回の取材を通じてそのことがよく分かりました。
いつも柔らかな笑顔を絶やさない美恵雛さんも、芸を極めるため日々の練習を怠ることなく、舞妓としての礼儀作法を身につけ、一歩外へ出た瞬間から「見られる存在」になることを決して忘れない。
長くこの地に息づく文化の担い手であるという「プロ意識」が染み付いているのだと感じました。
舞妓・芸妓は、江戸時代より300年以上続く伝統文化。
舞妓とは京都の花柳界において、芸妓になる前の修行段階にある15~20歳ぐらいの少女を指す。
地毛で結った京風の日本髪、肩上げされた振袖に長く垂らした「だらりの帯」、履物は高さ10センチほどの「おこぼ(ぽっくり)」、という様相が舞妓の特徴。
最近では、舞妓は京都の観光事業の一端を担っており、観光局に日本の伝統文化を伝えたり、世界の要人を接待したりするなどの役割を果たしている。