Tatsuta Kenta
1985年 青森県生まれ
5歳の頃から「ねぶた師」になる夢を抱き続け、14歳で内山 龍星さんに弟子入り。
以後10年間、学業と両立させながら「ねぶた」中心の毎日を送ってきた。
今は師匠の下で修行をする身であるが、優秀な「ねぶた師」として独り立ちするために、日々、努力を重ねている。
5歳の時、父親がねぶた小屋に連れて行ってくれたことがあったんです。その時、今の師匠である内山先生のねぶた製作を初めて目の当たりにして強い衝撃を受けました。
作り上げていく工程や、ねぶたの色使いの凄さに感動して「〝ねぶた〟を作る人になりたい!」と心底思いました。その時の感動は、今も忘れられないし、その気持ちが原動力になっています。
それ以来、ずっと小屋の外からねぶたの製作を見学していたのですが、小学5年生の時に、内山先生に「小屋に入ってもいいぞ」と、突然声をかけられました。
小屋の中で、内山先生は「ねぶた師になりたい」という想いなど、いろいろ話を聞いてくれました。そして、「ねぶたの顔の部分を、真似て作ってみろ」と言われ、2時間ほどで骨組みを完成させたんです。すると、「明日も来い」と言ってくださり、翌日からは、先生の作品のお手伝いをさせてもらえるようになりました。
健太のことは、小学校の時から知っているんです。
今時いないような好青年で、とても気が利くし、テキパキとよく働いてくれます。
今では彼は僕の右腕として、ねぶたの骨組みから書割、色つけなど一通りのことをやってもらっています。
今後の彼の課題は、製作したねぶたの出来のムラをなくすことですかね。
素晴らしいねぶたを作る時は、やっぱり彼の気持ちが充実して思う存分やれた時。
気持ちの面でのムラをなくしていければもっともっとよくなると思います。
大学は、教育学部で学んでいた立田さん。
その理由を伺うと「もし自分が弟子をとるようなことがあったら、弟子にいろいろなことを教えられるようになりたい。また、地域の子ども達にねぶたの伝統文化を伝えていくということが大切だと思った。そのために教育の基本的なことを学んでおきたかったんです」と真っ直ぐな目で答えてくれました。
製作のことだけでなく、独り立ちしたその先まで見据えている立田さん。
ねぶたに人生をかけた若者の「ねぶた愛」に感服しました。
青森県青森市で毎年8月2日から7日まで開催され、例年、300万人を超える観光客が訪れる県最大のイベント。
和漢の武者絵や歌舞伎の場面が描かれた「ねぶた」と呼ばれる勇壮な山車が有名。
祭りは、「ねぶた」と「お囃子」、「跳人」と呼ばれる踊り手が一団となり、祭囃子が響く中、「ラッセラー」という掛け声で跳人が舞い、その後を巨大なねぶたが練り歩く。
日本の代表的な火祭りの一つで、国の重要無形文化財にも指定されている。