Suzukawa Takeshi
1987年 山口県生まれ
高校卒業後、地元山口県で大工を志す。
しかし、「より職人らしい道を究めたい」との思いを募らせていた。
ちょうどその頃、雑誌で京都の和傘店「日吉屋」五代目当主 西堀耕太郎さんの記事を目にし、その真摯な姿、職人魂に心惹かれ入門を決意。
以来、西堀さんに師事し、和傘の「伝統美」と「優れた機能性」を追及する毎日を送っている。
たまたま本を読んでいたら、日吉屋の記事に出会いました。その記事には、今の師匠である西堀さんが傘を張っている写真が載っていて、「機械を使わずに手で一から作業している」と書かれてありました。それを見て、興味を持ったのがきっかけです。職人気質の仕事にずっと憧れていたので、これこそ僕のやりたい仕事だと思ったんです。
入門してからは、基本的に師匠の作っている姿を見て学ぶことが多いですね。西堀さんに直接見てもらって、手ほどきを受けたということは、数えるほどしかないと思います。ですので、わからない所は自分から聞きに行ったりしながら、技術の習得に励んでいます。
鈴川くんは人一倍まじめです。
この仕事は、いくら口で言ったって仕方なくて、自分で何本も何十本も、たくさん傘を張って、その癖を体で覚えるしかないんですね。
彼は仕事が終わった後などに、材料を家に持っていって作業していた成果などもあって、非常に早く上達したと思います。
美しい和傘は、日本らしさを象徴するものの一つ。多くのメディアでも取り上げられています。それほど日本人や外国人の印象に強く残るものであるにもかかわらず、和傘を作っている工房はほんの僅かしか残っていません。
鈴川さんや師匠の西堀さんは、魅力ある伝統的な和傘の魅力を多くの人に知ってもらえるよう、日々試行錯誤を重ねています。
こうした人々の努力があってこそ伝統は守られ、この「日本美」を私たちが目にすることができるのだと、改めて感じさせられました。
和傘は、平安時代に中国から伝わったものが原型といわれ、当時は、開いたままで閉じることができないものだった。
一般的な雨具として広く使われるようになったのは、江戸時代中期以降。
最盛期には日本全国で年間1千万本以上も生産されていたが、洋傘の普及とともに、和傘職人の数も減少していった。
しかし、今でも和傘は日本の伝統行事や茶事などには欠かすことはできず、日本文化を象徴するものとして、重要な役割を果たし続けている。