Kikuchi Haruka
1988年 愛媛県生まれ
「菊間瓦」を製造する家に生まれ、四国指折りの鬼師であった祖父・菊地壮三郎氏が作り上げる鬼瓦を見て育つ。
幼い頃から「いつか自分の手で祖父が作るような鬼瓦を作りたい」との思いを抱く。
そして、高校卒業後、壮三郎氏に弟子入り。
憧れる祖父のような「鬼師」になるための研鑽の日々を送っている。
小さい頃から粘土でよく遊んではいましたが、ある時、祖父が作る〝鬼〟を見て、「人の手でこんなすごいモノが作れるんや!」と思ったのがきっかけですね。
そのうちに「自分でも〝鬼〟を作ってみたい」と強く思うようになりました。
そして、高校を卒業する時に、誰に勧められるまでもなく、自分から祖父に弟子入りを願い出ました。
祖父への憧れもありましたが、「人がやらない、自分にしかできない仕事がしたかった」という想いも強かったんだと思います。
祖父の作った鬼を見て、この仕事を選んだのですから、目標はあくまで「じいちゃんのような鬼を作り、じいちゃんのような鬼師になること」。
そのために必要なことは、ひたすら鬼を作り続けること、ただそれだけだと思います。
晴香はマネをするのが上手。鬼師に必要な素質の一つ。特に修復など「同じ鬼瓦を作ってほしい」という仕事では、マネができないようでは決して良いモノを作ることはできない。
鬼師の技術で教えられることは少ないので、たくさん手を動かして、感覚を体に染み込ませてほしい。
鬼師は金べら1本で勝負する厳しい仕事。娘の将来のことを考えると、女の子に鬼師の仕事を教えて良かったのか…と思ったこともあります。
ただ、その点について本人は気楽に考えているので、今は父のような鬼師になりたいという気持ちを応援しています。
取材の合間、晴香さんが祖父の壮三郎さんの鬼瓦について、「じいちゃんの作る鬼は迫力が違うんです。カッコいいんです。」と説明してくれました。その様子は、まるで若い女性が大好きな芸能人の話をするように、とても楽しそうに。
しかし、そんな彼女もやはり鬼師。土を前にし、金べらを構えた彼女の姿は気迫に満ち、そして小さく息を吐くと、金べらは滑るように〝鬼〟を形作っていきました。
四国一の鬼師と言われた祖父の血がそうさせるのか、繊細かつ大胆に金べらを走らせる。
一切の迷いを感じさせないその動きに、次代を担う若き鬼師の天賦の才を感じました。
約750年前に、愛媛県今治市菊間町で製造が始まった伝統ある瓦。
吸水性に優れており、瓦自体が呼吸しているので住みやすく屋根を痛めないと評される。
最大の特徴は焼成時に、釜の中で空気を完全に遮断して蒸し焼きにする「燻化工程」を施すことにあり、その色合いから「燻し瓦」とも呼ばれている。