Tanaka Yuki
1988年 佐賀県生まれ
田中さんは福岡県の隣県、佐賀に生まれた。物心付いた頃から、家に飾られていた博多人形の優しい表情に心惹かれ、愛知県に移り住んだ後も、博多人形に対する想いを抱き続けていた。
そして、高校に上がる頃には、「博多人形を作る職人になりたい」との想いを日々募らせるようになり、在学中に意を決して、今の師匠である人形師・梶原正二氏に弟子入りを志願した。
その後、幾度となく工房を訪れ弟子入りを懇願、高校卒業を機に入門が認められた。
現在は工房に住み込み、偉大な師匠の下で、日々、優れた人形師になるための努力と経験を重ねている。
子どもの頃から、博多人形のなんとも言えない表情を見るのが好きだったんですが、そのうちに「どうやって作るのかな?自分にもできるかな?」という気持ちが芽生えて、それからは、どんどん人形作りに興味を持つようになっていったんです。
そんな想いが抑えきれなくなって、高校の夏休みに電話帳を開いて〝博多人形師〟を探しました。その時に、最初に目に止まったのが梶原先生の工房だったんです。今思えば、これも運命だったのかもしれませんね。
そして、連絡をして、工房を見学させていただきましたが、そこで先生の作品を目にした時のことは今でもはっきりと覚えています。 衝撃的でした。ホントに。
これまで見てきた作品とはスケールがまったく違いました。作品の前に立ちすくんでしまい、目を離せず、言葉を発することさえできなかったんです。
〝この人しかいない〟と決めました。
「この人につけば、僕にもこんな人形を作れるようになるんだろうか?いや、僕もこんな人形を作る人形師になりたい。」そう思ったんです。
そのあとに簡単な型押しをやらせていただいたのですが、とても面白かったんです。初めて工房を訪れた時の思いを決して忘れないようにしています。 これが僕の原点ですから。
入門してから四年半が経ちますが、年々、いや日に日に人形作りの難しさが増していきます。昨日気が付かなかったことが、今日見えてくるんです。昨日は「よくできた」と思っても、一日経ってあらためて見てみると、粗が見えてくる。
先生からはよく〝雑だ〟と言われます。
自分としては〝思い切りよくやったこと〟なんですが、先生から見れば、それは単に〝雑〟な表現でしかないことがほとんどです。毎日が失敗の繰り返しです。
また、僕はついつい、自分の未熟なイメージだけで突き進んでしまう時があるんです。イメージを頼りに作業を進めるには、知っていなければならない基礎となる知識や情報が必要です。僕にはそれが、まだまだ足りません。
日々、勉強です。今まで興味のなかったことも積極的に見聞きして、視野を広げようと思っています。
人形の表情を見るだけで、心奪われるような作品を作りたいです。
彼は最初に工房に来た時、愛知から一人でやって来ました。
私は親など、誰か付添の人と一緒に来るような人を、絶対弟子には取らないんです。それは、最初から自分で考え、自分で決めることができない人は人形師にはなれないからです。
技術は誰でも、ある程度身に付けることができます。でも、〝発想〟は誰かが教えて身に付くというものではありません。自分の心の中から湧き出させ、それを人形という立体の物に表現していく。すべて、自分次第なんです。
彼は最初から真剣でした。それは目を見れば分かります。「彼なら大丈夫だ」と直感し、入門を許可しました。
とてもいい発想をします。でも、まだまだ広く、深く、感覚を磨かなければなりません。それには、さまざまな業種の人たちと数多くの交流を持ち、会話をすることです。そうすれば、新しい発見、多くの知識を得ることができます。その得たものを元に人形作りに打ち込んで欲しいと思っています。これからの彼にはそんな努力が必要です。
作業中の一点を見つめる真剣な表情がとても印象的だが、何気ない会話の中で見せる23歳とは思えない落ち着いた表情も忘れることができない。
常に言葉を選び、自分の想いを語る田中さん。
彼の人形作りに対する真摯な姿勢や真っ直ぐな想いが、作品に表れているように思う。
作者の心が乱れていては、見る人に感銘を与える良い作品を作り出すことはできない。
人形を作るのは心。人形を作る彼の背中が、そう言っているようだった。
尊敬する師匠の教えを胸に、日々、心の鍛錬と技の習得に励む若者がいる。
10年後、20年後、彼はどのような人形師になっているのだろうか。
きっと、見る人の心を奪う作品を数多く生み出していることだろう。
そんな彼に会いに行きたいと思う。
博多人形の歴史は17世紀初め、福岡藩主 黒田長政が福岡城を築いた際、瓦作りの技法を学んだ職人が粘土で人形を作り、長政に献上したのが始まりとされている。
その後、陶工師の中ノ子家が土人形に鮮やかな彩色を施し、現在の博多人形の原型を作り出したと言われている。