Nakamura Junya
1990年 熊本県生まれ
山鹿市の農家に生まれる。幼い頃から絵を描いたりするのが好きで、将来は物づくりに関わる仕事に就きたいと思っていた。
中学校の授業で地元山鹿の灯籠作りを経験して以来、その魅力に心ひきつけられ、「山鹿灯籠師」を志す。
19歳の時、最年長灯籠師である徳永正弘氏に弟子入り。5年目となる現在、「山鹿灯籠製作後継者」として、師匠の作品の部材作りを通じて、「山鹿灯籠師」となるための鍛錬の日々を送っている。
中学生の時、職場体験の授業で「金灯籠」を作らせてもらいました。その時は上手く作れなかったのですが、独特の作り方がいくつもあって、「奥が深い」、「これをやりたい」という気持ちになったんです。
そして、高校卒業後、知り合いの伝手で徳永先生を紹介してもらい、弟子入りを願い出ました。先生の作品は、山鹿灯籠民芸館にも飾ってあるので、前から知っていました。その作品は、山鹿市が誇る国の重要文化財「八千代座」の灯籠なんですが、建物内部のあまりの精巧さに本当に驚かされ、「ここまで作れるんだ!」と心底感心したことを覚えています。
そんな先生への弟子入りが叶い、とても嬉しかったのと同時に、先生から全て学び取ろうと決意しました。先生は7人いる灯籠師の中でも最年長で、昔ながらのやり方、製法を守り続けています。それを一から学べていることは、本当にありがたいと思っています。
灯籠を1基作るのに100種類にもおよぶ部材が必要なのですが、「一体いつ終わるんだ…」と、なかなかゴールが見えない上に、せっかく作り上げた部材でも、先生は気に入らないと理由も言わず、その場で捨ててしまいます。「何がいけなかったのか?」と考えるんですが、分からないことだらけです。先生も正解を教えてはくれません。
友人からは、「そんなにキツいのに、なぜ続けるの?」と、聞かれますが、実はそれこそが、自分に取っての魅力なんです。ゴールが見えず、分からないことだらけだからこそ、ワクワクするんです。
灯籠を完成させた後の先生は、毎回、達成感で満ち溢れているように見えます。自分もその達成感を味わってみたいんです。
とにかく自分は、灯籠作りが大好きでたまりません。灯籠作りには、人生で一番時間を費やしたいと思っています。人生をかけて追求していきたい仕事なんです。
まぁ、毎日が楽しくて、仕事という感覚は全くないんですが(笑)。
彼の良さは、粘りがあることです。「奉納灯籠」作りは小さいことの連続で、1基の完成まで半年近く作業を続けていかなければならず、その間、工房に寝泊まりして、夜中に起き出して作業したりもします。それを、苦と思わずできることが重要です。
また設計図が無いので、イメージだけでモノを作る力があるかどうか。この点については、彼が最初に私のところへ来た時、「こいつはいいな」と感じました。
職人に「完成」はない。私自身、未だに一年生だと思ってやっています。
作品が作れるというだけでは一人前ではありません。後は経験を積んで、見る目を養って何とかしていくのです。
努力次第では、今年中に私のもとから卒業させて、一人で経験を積ませたいと思っています。習ったことだけをやっていてはダメですからね。
祭りの日の朝、師匠が精魂込め製作した9基の「奉納灯籠」が工房から搬出された。笑顔で見送る師匠に、「今一番何がしたいですか?」と尋ねると、「プラモデルが作りたい!」と一言。師匠の楽しみは、飛行機や船のプラモデル作り。それもほとんど設計図を見ずに作り上げるとのこと。そして、「これが、設計図の無い灯籠作りにも役立っているんだよ!」と、豪快に笑った。
どんなことでも、全て灯籠作りに繋げてしまう師匠は、御年86歳。
灯籠作りに対する情熱と体力は、60歳以上年下の中村さんも、「全くかないませんよ…」と微笑みながら、偉大なる師に憧れの眼差しを向けていた。
熊本県山鹿市で生まれた、和紙と糊のみで作られる国の伝統工芸品。
灯籠と言えば、照明器具として用いるものを想像するが、山鹿灯籠はそれとは異なり、神殿造り、座敷造り、城造りなど実在の建造物などを精巧に再現し、内部に灯りをともさず、純粋な鑑賞品となるものが多い。これらは、約1900年前から続く「山鹿灯籠まつり」の最後に神社へ奉納されるため「奉納灯籠」と呼ばれている。
また、「山鹿灯籠まつり」では、1000人の女性による「千人灯籠踊り」も行われるが、その際、女性たちが頭に載せる「金灯籠」も山鹿灯籠の1つで、これもまた国の伝統工芸品に指定されている。