Omura Emi
1982年 静岡県生まれ
高校2年の時、静岡市内の伝統工芸を体験できる施設「駿府匠宿」で、駿河竹千筋細工を初めて目にし、職人の道に進むことを決意する。
高校を卒業した後、伝統工芸士の篠宮康博氏に弟子入り。
以後、篠宮氏の元で13年間修業を続けている。
現在は、自らが駿河竹千筋細工に出会った「駿府匠宿」で、竹細工のカルチャースクール講師としても活躍している。
高校2年生の時、初めて「駿河竹千筋細工」の作品を見たのですが、思わず「きれい!」と、声が出てしまいました。
私の実家の裏山に竹はいくらでも生えていたので、幼い頃から見てはいたものの、特に気にかけはしませんでした。その竹からこんなに綺麗な作品ができるなんて、とても信じられませんでした。
見た瞬間に「出会っちゃった。これだっ!」と、竹千筋細工職人になることを直感的にその場で決めたほど、私にとって衝撃的な出会いだったのです。
そして、高校3年生の進路相談の時、先生に「竹千筋細工をやりたい!」と伝え、ご紹介いただいた静岡市の伝統工芸後継者支援制度を利用して、師匠(篠宮康博氏)に弟子入りすることができました。
憧れの世界に入り、大好きな竹に触れることができて、毎日がワクワクの連続でした。
竹千筋細工は竹をナタで割ったり、曲げたり、丸ひごを作ったり、組み立てたりと、全ての作業を一人の職人が行うため、いつも「急がば回れ!」と思って作業に臨んでいます。
「どの工程も、一つひとつ丁寧に仕上げ、次の工程に進む」。
手を抜いてしまえば、次の工程で必ず苦労して、結局前の工程に戻ってやり直しすることになってしまうのです。
竹は素直な子どものようで、良いものを作ろうとすればきちんと答えてくれますし、手を抜けば機嫌が悪くなります。竹との会話は本当に楽しいですよ。竹の魅力は尽きませんね。
一言で言うと、やさしい師匠です。師匠の作品には、そんな師匠の人柄が表れています。素朴で、優しい丸み、竹の温もりを感じることができます。私は、師匠の作品の大ファンなのです。そのような方から技術を学べていることは、本当に幸せです。
そんな師匠から言われて印象に残っていることがあります。
弟子入りしてから2、3年経った頃、「大村には、この仕事があっているね」と何気なく声をかけてくれました。その頃は、ただひたすら仕事を覚える毎日で、肩に力が入り過ぎていたのかもしれません。その何気ない一言で、不安や迷いが消えて、気持ちがスッと軽くなりました。
「私はこの世界に入って正解だったんだ」と確信することができ、それ以来、自然体で竹と向き合うことができていると思います。
今まで一度も弱音を吐いたことはありません。竹が「好きで好きでたまらない」というのがよくわかります。
大村の作品には、使い手への想いがこもっています。一人でも多くの人に手に取ってもらいたいですね。
今では弟子というよりも、並んで歩いているといった感じです。近い将来、伝統工芸士になってもらいたい、なれる技術は持っていると思います。私も負けてはいられませんね。
大村さんは、カルチャースクールで親ほど年の離れた方々に竹千筋細工を教えている。
楽しそうに作業をする生徒さんの横で、もっと楽しそうな彼女。生徒さんに「先生、テレビカメラに向かって恋人を募集しちゃえ!」とからかわれ、「じゃあ、イケメンでも募集してみようかな!」と答え大笑いをすると、教室中が優しい笑いに包まれた。
大好きな駿河竹千筋細工を通じて、たくさんの人との絆が深まっていく。彼女の溢れる笑顔の源は、ここにあるのかもしれない。
「竹千筋細工の魅力を、もっと多くの人に伝えたい」と話す彼女。ここにいる生徒さんは、竹千筋細工の魅力だけでなく、彼女にもすっかり魅了されているようだ。
1976(昭和51)年、「伝統的工芸品」として経済産業大臣の指定を受ける。
静岡を流れる安倍川、藁科川の流域は昔から良質の竹を産出。弥生時代の登呂遺跡からも竹のザルが出土し、この地では古くから竹製品が生活用具として根付いていた。
そんな地で誕生した駿河竹千筋細工は、江戸時代初期、徳川家康公が駿府に移り住み、趣味である鷹狩りのえさ箱を竹細工で作らせたのが始まりだといわれ、駿河千筋竹細工の特徴である「丸ひご」は、鳥や虫を傷つけなかった。そのため、精巧な鳥かご、虫かごはいまでも人気が高い。