Takaesu Shohei
1985年 沖縄県生まれ
1682年、琉球国王の命により誕生した壺屋焼。
窯元「育陶園」は、300年以上にわたり伝統技術を守り、壷屋焼を発展させてきた。
尚平さんはその窯元の長男として生まれ、高校を卒業すると京都の伝統工芸専門学校で陶芸技術を学び、20歳の時、父である育陶園六代目の高江洲 忠氏に弟子入り、以来10年、伝統の技術を継承するための日々を送っている。
プレッシャーはまったく感じていません。小さい頃から祖父や父の働く姿を見ていましたが、本当に楽しそうなので。
祖父は、すべて手作業で成形する「手びねりシーサー」製作の第一人者と言われ、頻繁に取材を受けたり、講演を行ったりしていました。
そんな祖父のように「世間に注目されるような職人になりたい」と憧れていましたので、今回の取材は本当に嬉しかったのですが、いざ取材が始まると緊張のあまり上手く作業が進まないこともあって、祖父や父の偉大さを実感しました。そしてこれが現在の自分の実力なのだと痛感しました。
もっともっと経験を積み、七代目として恥ずかしくない職人に成長したいと思います。
祖父はとても研究熱心で、国内外の窯元をくまなく視察し、沖縄を代表するような素晴らしいシーサーを生み出しました。現陶主である父は、愛知県瀬戸市の窯業学校で陶芸を学び、その後、水墨画の先生に弟子入りし、父にしか描くことができない柄「魚紋」を作り上げました。自分も、自分にしか作れないものを生み出していきたいと思っています。
現在、「育陶園」では、スタッフ全員が力を出し、これまでの伝統を大切にしながらも、伝統に縛られない、次の時代へ繋げるモノづくりを目指していこうと、「guma guwa」と「kamany」というブランドショップをオープンし、自分も新商品の開発に携わりました。
新しいものを生み出すのは大変なことですが、自分を信じ、仲間を信じ、どんどんチャレンジして、「自分自身がお金を出してでも買いたくなる商品」を作れれば最高だと思います。
とにかく優しい男です。人への気遣いができ、先輩・後輩たちから好かれています。
また、とても手先が器用なので細かい作業などは、既に自分の上をいっているものもあるのですが、実際、七代目陶主になるためには、誰もが認める技術を身に付ける必要があります。それは、同じものを作り続けていかなくては身に付きません。
私も15年間、まったく同じものを作り続けて、ようやく人に認められるものを作れるようになりました。作り続けていけば、いずれ土が教えてくれますから、焦らずじっくりと、1歩1歩進んで行ってほしいと思います。
あと10年、私も現役を続けますので、その間に何かを掴んで欲しいと思っています。また、尚平には30年近く技術を磨いてきた2人の兄弟子がいますので、彼らも必ず七代目を支えてくれるはずだと信じています。
尚平さんは2010年に結婚し、2人の息子さんがいます。
取材に訪れた際、2人の息子さんは毎日のように作業場に来て、楽しそうに泥団子を作って遊んでいました。
尚平さん曰く、「泥団子作りっていうのは、陶芸の基礎中の基礎なんです」とのこと。
幼い頃から自然と土に馴染み、土でのモノ作りが好きになっていく。
愛らしい〝小さな陶芸家たち〟の姿を見ていて、尚平さんが幼い頃、どのように過ごしていたのか、そしてどのように伝統が受け継がれてきたのかを想像することができました。
沖縄では琉球王国の時代、16世紀後半から陶器が作られるようになり、1682年、陶器産業の一層の発展を目的に、点在していた3つの窯場を現在の那覇中心部に統合、その地が「壺屋」と命名されことで、「壺屋焼」の歴史がスタートした。
素朴で力強い作風が特徴で、1976年には国の伝統的工芸品に指定された。
現在、「育陶園」で描かれる柄は主に3種類、長寿繁栄を意味する「唐草」、病を治し寿命を延ばすことを意味する「菊紋」、さらに、富と幸福を象徴する「魚紋」がある。