Inaga Sayuri
1983年 鳥取県生まれ
鳥取県弓ヶ浜半島で栽培されている「伯州綿」を紡いで作られる国の伝統的工芸品「弓浜絣」。
小学校の社会科見学で弓浜絣の工房を訪ね、職人の技と言葉に感動し、弓浜絣職人を志す。
大学では染織を専攻。卒業後、社会科見学の際に出会い、職人を志すきっかけとなった嶋田悦子氏に弟子入り。幼い頃からずっと憧れていた職人に技術を学び、現在は独立。
伯州綿の栽培から機織りまで、全て手仕事による伝統の技にこだわり、伝統の糸を途絶えさせないよう試行錯誤の日々を送っている。
小学5年生の時、社会科見学で弓浜絣の工房に行き、職人さんの話を聞きました。それが、後に私の師匠になる嶋田先生でした。
その時、印象に残ったのが「使うための良い物を作る」という師匠の言葉です。伝統的工芸品だからといって大切に展示するのではなく、日常の中で使うものだと知って、子どもながらに「そんなに素敵なものがあるんだ」と衝撃を受けました。それがきっかけとなり「嶋田先生に弓浜絣の技術を学びたい」と思いました。
大学卒業後、憧れの嶋田先生に技術だけではなく、布への接し方、妥協がない姿勢など多くを学びました。
伝統の手仕事にこだわり、全ての工程で妥協することなく、日常の中で使える良い物を作り続けたいと思います。
弓浜絣は、贅沢が禁止された時代に農家の女性たちが自給用の衣類を作ったことで誕生したんですが、特徴の「縁起物の柄」には、物のない時代、限られた色しかなかった中で、いかに楽しく暮らそうかと工夫した跡が見られて、すごく心が打たれます。
家族の幸せを願って作られ、柄に込められている愛情を感じることができます。例えば「鷹」の柄は、生まれた子どもに将来羽ばたいてもらいたいという願いが込められています。また「茶道具」には、贅沢な暮らしはできないけれど、心だけは豊かでいたいという願いがあります。
私も作品一つひとつに心を込め、丁寧に作っていきたいと思います。まだまだ試行錯誤の連続ですが、苦労とは思っていません。何よりも絣が好きだからですかね。
戦後間もない頃、弓浜絣を作る人はいませんでした。復興のきっかけは、夫の太平の「弓浜絣の根っこがなくなってしまう」という一言でした。
弓浜絣を全く知らなかった私に技術を教えてくれたのは、「古い布」です。昔の婦人たちが、良い仕事をしてくれていたおかげで良い布が残っています。
当時の布には、輝きがあるんです。特に使われてきた布には健康的な美しさがあります。自分が作った物と昔の布を比べて、どうやったら古い物に近づけるかを追いかけてきました。
「布が教科書であり、先生」です。私は、まだまだ幼稚園生ですよ。まだ、昔の布を取り戻すまでには至っていません。一生勉強です。
いわゆる「マイブーム」がちょくちょく変わるという稲賀さん。
最近すっかりハマっているのが「お菓子作り」。仲間の職人さんからレシピを教えてもらった「おからケーキ」がオススメだそう。パサパサしている「おから」をしっとりさせるコツがあり、米粉を入れるのが稲賀流。焼き加減を調整したり、アレンジしたりしては、職人仲間に差し入れしているそうです。「すごくおいしいですよ」と、微笑みながら話をしてくれました。
何事にも徹底的にこだわる。稲賀さんの弓浜絣へのこだわりの一片を垣間見た気がしました。
弓浜絣は、約250年前から鳥取県弓ヶ浜半島(境港市、米子市)で作られている藍染の木綿着物。1975年に国の伝統的工芸品に指定された。
この地域では良質な伯州綿が栽培され、それを紡ぎ、農家の女性たちが、自給用の衣類を作ったのがはじまり。
家族の健康や幸せ、子どもの成長を願い、より美しい柄を競うように織った暮らしに密着した縁起物の柄が特徴。