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#130

明日への扉 ディレクターズセレクト
スペシャル

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日本固有の伝統を受け継ぎ、次代に繋ぐために日々研鑽を積む若者たちへエールを送ってきた「明日への扉」。
2020年10月、ディスカバリーチャンネルで放送中の「明日への扉」が30分番組へと生まれ変わります。

それを記念して、今回は、過去作品から厳選した「ディレクターズセレクトスペシャル」をお送りいたします。

珠洲焼すずやき作家
中島 大河
Nakajima Taiga

一生をかけて打ち込める仕事をしたいと考えていた時に珠洲焼と出会う。
きらびやかな焼き物ではなく素朴で朴とつとした姿に魅了され、日々作陶に励む。
そして今回、中島さんが初めて自身の作品の窯焚きに挑む。

尺八職人
大萩 康喜

Ohagi Yasuyoshi

尺八奏者であった大萩さんは「自分の理想とする音色を出せる尺八を作りたい」という夢を諦められず、勤めていた会社を辞め、この道に飛び込んだ。5年間修行に励み、2016年8月、師匠の勧めで独立。祖母宅の離れに尺八工房 「慈庵」を構えた。

茶筒職人
石場 亮輔
Ishiba Ryosuke

手に職をつけるため京都伝統工芸大学校に入学。将来は、身につけた技術で海外を目指したいと思うようになった。
140年前から変わらない使いやすさや高い気密性を守るべく、一つひとつの工程に真摯に取り組み、素材の金属と向き合う日々を送っている。

寄席文字職人
橘 さつき
Tachibana Satsuki

春風亭昇太さんの落語と出会い、一気に心を奪われる。落語芸術協会主催のファン感謝イベント「芸協らくごまつり」で、たまたま参加した寄席文字体験教室が、寄席文字との出会いとなった。さつきさんは修業6年目の2017年1月、橘流一門の総意を得て「橘さつき」の名を許された。

肥前びーどろ職人
副島 正稚
Soejima Masanori

幕末に開かれた佐賀藩の科学技術研究施設「精煉方」。そのガラス窯の技術を受け継ぐ「副島硝子工業」の跡取り。「肥前びーどろ」最大の特徴、幻の技法「ジャッパン吹き」を習得するため、日々修練を積む。

堤焼陶工
針生 峻
Hariu Shun

300年以上の歴史を持つ堤焼。その技を唯一受け継ぐ仙台の堤焼乾馬窯に生まれた。2011年に起きた東日本大震災で「運良く生き延びられたのだから、本当にやりたいことをやる」と決意し、乾馬窯にて陶器作りに従事。震災を乗り越え伝統の炎を守り続けている。

黒羽藍染職人
小沼 雄大
Onuma Yuta

200年以上続く黒羽藍染紺屋の一人息子として生まれ、小さな頃から工房が遊び場だった雄大さんは、高校卒業と同時に藍染職人の道へ飛び込んだ。先代たちが守ってきた技術や教えを礎に、若い人たちにも響く藍染を模索し続けている。

美濃手漉き和紙職人
千田 崇統
Senda Takanori

「美濃和紙の里会館」の紙漉き体験工房で手漉きの和紙と出会い、3年間師匠の下で修行したのちに工房を引き継ぐ。楮の栽培から携わり、美濃特有の白く美しい和紙と、創造性を掻き立てられるような和紙の製作を手がけている。

笹野一刀彫工人
小山 泰弘
Koyama Yasuhiro

「地元に関わる仕事をしたい」と考え、師匠の元を訪ねた。
今では、幼い頃からの友人である双子の佐藤兄弟とともに「お鷹三兄弟」と呼ばれている。小山さんは、彫りから絵付けまで行う工人として研鑽の日々を送っている。

京表具 修復師
間部 ななせ
Mabe Nanase

テレビで観た「漆で神社の修復をする仕事」に心惹かれ、京都の大学に進学した後は、漆を扱う「蒔絵」を学んだ。在学中、掛軸修復の技術の高さ、作品を美しくするだけではない修復の意義を知り、修復師になることを決意。京表具 藤田月霞堂で修練の日々を送っている。

岐阜和傘職人
河合 幹子
Kawai Mikiko

母方の実家は岐阜市加納地区の老舗和傘問屋「坂井田永吉本店」。小さい頃は毎週末のように工房に遊びに行っては、そこで働く職人さんたちの手仕事を見て育った。3年前には自身のブランド「个日和」を立ち上げた。新聞配達と2束のわらじで続けてきたが、現在は和傘作りに専念している。

堺打刃物 鍛治職人
奥上 祐介
Okugami Yusuke

進学した京都の大学では街づくりを学び、地場産業へ関心を持っていた。たくさんの職人と話をするうちに、自身が職人になりたいと思うようになっていった。知識・実技の研修を経て「田中打刃物製作所」に入社、堺打刃物の鍛治職人として日々修行に励んでいる。

いかご職人
須浪 隆貴
Sunami Ryuki)

家業が「い草」で「花ござ」や「いかご」を製造する須浪家に生まれた隆貴さんは「い草」の香りと職人たちに囲まれて育った。
専門学校を卒業後、祖母 栄さんの後を受け継ぎ「いかご職人」の道へと進み、今はその伝統をたった一人で守り続けている。