Sasaki Gen
1984年 埼玉県生まれ
高校生の頃から日本の伝統文化に興味を持ち始め、伝統的なものを作る仕事に就きたいと考える。花火を題材にした映画と出会い、その花火師の姿に憧れ、大学卒業後、花火の道に進むことを決意する。「どうしても花火師になりたい」という気持ちを手紙に綴り送り続け、縁あって山梨県市川三郷町の老舗 齊木煙火本店に入社。6年間修行を積むなかで、ある出来事を契機に「花火の原点である慰霊・鎮魂の祈りを込めた和火の花火を打ち上げたい」という想いが強く芽生え、独立。暖かく温もりがある癒しの火「和火」に魅せられ「和火師」の道を歩んでいる。
大きな心境の変化は東日本大震災です。あの時、自分に何ができるのかを真剣に考えました。花火玉で募金箱を作って贈ったりもしましたが、一番の想いであった慰霊・鎮魂の花火を上げることは叶いませんでした。その翌年、全国花火競技大会「大曲の花火」で齊木煙火本店が準優勝し、花火師になった時からの目標、表彰台に立つことができました。でもその嬉しさより、あの時、花火師として何もできなかったという悔しい気持ちの方が出てきてしまいました。そして花火の原点は供養・慰霊・鎮魂・五穀豊穰の祈念といった「祈り」だったことを知り、自分はエンターテインメントと芸術性から一歩離れ、暖かい癒しの火「和火」で祈りをテーマにした花火を追い求めていきたいと思いました。
和火一本で花火師として生きていく。その決意を込めて「和火師」と名乗り活動しています。
和火には見ている人や場所を癒す不思議な力があると思います。これまで線香花火作りを通して和火とは何かを学んできました。今後は祈りをテーマにした慰霊・鎮魂の和火を、ふさわしい時に必要とされている場所で打ち上げていきたいです。
今は、日本全体の気持ちが沈んでいる状態なので、少しでも気持ちが前向きになり、元気が出るような癒しの和火を、祓いの和火を、日本全国各地を回って打ち上げていきたいです。
高校生のときに見た花火大会で、大勢のお客さんが喜んでいる花火に感動して自分の進む道は「これだ」と思いました。自分の作ったものでお客さんが喜んでくれる仕事が一番だと思いました。
「花火が好きなんだなぁ」というのをすごく感じました。自分と同じで雑談も花火の話しかしないんですよ。「こいつはちょっと違うな」と思いました。一緒に作業していく中で、どんどん芽が出てきて、自分なりに工夫して、自分なりに努力してあっという間に一通り出来るようになりました。自分もそうでしたが「花火が好き」それが一番大事なことなんでしょうね。
何が楽しいって、厳と一緒に花火の話をするのが一番楽しいですね。私は花火文化を後世に残すことと花火で感動をお伝えするために我々職人が努力していかなければならないと思っています。厳も自分を信じて楽しく、そして自分の信念を貫いてやっていってほしいと思います。
厳さんは本当に花火が大好きで黙々と作業していました。真面目さが滲み出てくる様な眼差しが最初の印象でした。
桜の季節にお会いして、夏に行われた念願の和火初打ち上げまでご一緒してみても、やはり変わらず真面目で謹厳実直な職人さんでした。しかし飯田師匠と花火の話をしているときは一転、子どもの様に楽しそうに目を輝かせていたのが印象的でした。厳さんの線香花火「結」に火をつけると、赤褐色の和火に心癒されて自然とすっきりした気分になります。
たった一人で、祈りの和火を日本全国各地を回って打ち上げる。厳さんならきっとやる。そしてその活動に賛同してくれる人がきっと増えていくと確信しました。
古来、火は邪気を祓い、心を穏やかにする力を持つとされてきた。享保18年8代将軍 徳川吉宗は、飢饉や疫病により多数の死者を出した江戸の民の魂を鎮めるため、両国大川(隅田川)で水神祭を催し、そこで花火が披露されたといわれている。
明治以降、海外から入ってきた様々な化学薬品によってカラフルに変化した現代の花火を「洋火」と呼ぶのに対し、「和火」とは江戸時代までの、硝石・硫黄・木炭のみを原料とした黒色火薬が発する赤褐色の花火をいう。
「和火」は古来、日本の花火師たちが作ってきた祓い・癒し・鎮魂の力を持つとされる日本伝統の花火である。