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珊瑚彫刻作家
山本 達也

Yamamoto Tatsuya
1998年 高知県出身

絵を描くことがとにかく好きで、美術コースのある高校に進学した。卒業後は地元企業への就職を希望していたところ「珊瑚の加工」という仕事があることを知り、興味本位で会社見学を申し込んだ。そこでプロの手作業の正確さを目の当たりにし、入社を決意。
入社2年目で日本最大の珊瑚彫刻のコンテスト「土佐さんごまつり」に作品を出品、高知県知事賞(最優秀賞)を受賞した。それ以降も数々の賞を受賞し、美術年鑑にも名前が掲載される珊瑚彫刻界のホープとして活躍を続けている。

図案を下書きして荒彫りする。
用途に合わせて道具の刃を変えながら徐々に細かく彫っていく。

山本 達也さん インタビュー
宝石珊瑚との出会い

正直、就職を考える時期になるまで珊瑚なんて全く興味はありませんでした。
ただ、地元企業で自分が一番自信を持てる分野で働けるというだけで、珊瑚加工の会社に就職しました。
最初は「安い白サンゴを綺麗に丸くする」単純な作業をひたすらやっていたので、正直飽きてしまったこともありました。
ですが、先輩から「君が削っているのはお金そのものなんだよ」と言われて、その時とてもドキっとして、仕事への意識が変わりました。「サンゴが宝石になるかどうかは僕の手にかかっている」それがそのまま仕事のやりがいになっていきました。

素材である珊瑚の傷が深く、桜の花を彫刻するのが困難な部分は
傷や穴をそのまま活かし、桜の枝を彫っていく。

「彫刻作家」として働くこと

初めて珊瑚彫刻をしたのは、入社後半年ぐらいの頃です。
社長が毎年1月に開催される土佐さんごまつりに「10センチぐらいの深海サンゴの塊を使って作品を出していいよ」とおっしゃってくださいました。初出品では審査員からの評価は得られなかったのですが、お客さんの投票で決まる賞をいただくことができました。
その後、2年連続で最高賞(高知県知事賞)をいただいてから、宝飾品には向かない原木を作品に仕上げる仕事がメインになっていきました。
技術的な精巧さで勝負するのはもうやり尽くされているので、題材として選ぶものやアイデアの勝負になってきます。誰もやったことのないことをどんどんやっていきたいです。

山本 達也さん
珊瑚彫刻作家
山本 達也さん
古舘 秀峰さん
マサキ珊瑚 会長
正木 長生さん

マサキ珊瑚 会長
正木 長生さんインタビュー

山本くんは珊瑚加工の技術的なことだけでなく、デザインも素晴らしい。生き物の躍動感だとか本当によく表現されていますよね。
僕から教えたのは機械の使い方ぐらいで、そこからはどんどん自分で覚えていきました。
後々「何かしらの賞は獲るだろう」と思っていましたけど、まさかたった2年目で最優秀賞を獲るなんて思ってもいませんでした。
向上心があって研究熱心で、異素材と合わせた作品なども作っているし、珊瑚彫刻の可能性を広げられる職人なんじゃないかと思います。
珊瑚の人気がとても高まっているので、そんな時代に山本くんのような才能溢れる若者がいることはありがたいです。

取材を終えて

宝石珊瑚の作品づくりは、とにかく時間と手間がかかる。
この番組で紹介できたのはほんの一部。達也さんは毎日ひたすら細かく手を動かし、硬い珊瑚に力を込め、立体的に桜の形を彫り進めていく。集中力を途切らせることなく、ただひたすらに。
その姿は25歳の若者とは思えないほど、まるで熟練した職人の姿だった。
だが仕事を終えると、その姿は一変する。
数年前に始めたバドミントンは経験者にも劣らない動きを見せ、食事を美味しそうに食べ、楽しそうにプライベートを語る。その姿は25歳の若者そのものだった。
今後、海外での活動を視野に入れていると語っていた達也さん。若き珊瑚彫刻作家の今後にも注目したいと感じた取材だった。

小代焼

宝石珊瑚

主に深海(水深100m以上)に生息する硬質なサンゴで、白色・桃色・紅色・赤色などがあり、高知県の特産品として知られている。
日本でサンゴが宝飾品として使用された記録としては、752年に行われた東大寺の大仏開眼会で聖武天皇が着用したサンゴをあしらった冠の一部が発見されている。
江戸時代初期に室戸岬の漁師が引き上げた記録が残っているが、当時幕府から重税をかけられることを危惧した土佐藩はサンゴの漁や所持を禁じていた。
明治時代以降、漁が解禁となると良質な桃色サンゴや赤サンゴが揚がり、世界中から注目が集まる。
現在、国内で原木の入札が行われているのは高知県のみとなっている。

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