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#073

福島県会津桐下駄職人
黒澤 孝弘

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会津桐下駄職人 
黒澤 孝弘

Kurosawa Takahiro
1979年 福島県生まれ

会津地方は古くから良質な「会津桐」の産地。この会津桐から作られる「会津桐下駄」は、桐下駄の最高峰と称されている。

創業明治45年、黒沢桐材店の五代目。大学まで野球を続けプロを目指す。卒業後、跡を継ぐため四代目 孝司氏に師事。桐下駄製作は分業化されており、原木の伐採から手仕事による仕上げまで、すべてを一人で行える職人は全国でも少ない。

すべての工程を行えるように二人の師匠の元、修業の日々を送っている。

会津地方の北に位置する
福島県喜多方市。
古くから桐の産地として知られる

黒澤孝弘さん
インタビュー

職人を目指したきっかけは?

ある時、幼い頃から見ていた父の背中、会津桐に囲まれた当たり前の光景が自分の目指すものだと気づかされました。街では、ほとんど下駄を履く人を見なくなり、このままではマズイと感じたんです。日本人である以上、日本の伝統的な履物「下駄」をなくしてはならないと、この世界に飛び込みました。

父からは、美しい年輪を切り出せる術を学び、仕上げの師匠 山内さんからは手仕事による仕上げを学ばせてもらっています。

会津桐下駄の大きな特徴の一つに「美しい年輪」があります。

「年輪」という自然の恵みを大切にして、履いている姿はもちろんですが「脱いだ時に美しい下駄」を作ろうと心がけています。

後世に残せる良い下駄を作ることが、会津桐に、そして、師匠たちへの恩返しになると考えています。

会津桐下駄は木目の美しさ、軽さ、履き心地の良さから
桐下駄の最高峰と称されている。

日本の伝統的な履物「下駄」

下駄は足が痛くなる履物と思われがちですが、そんなことはありません。僕たちが一番こだわるのが「履き心地」です。お客様の足に合わせて「鼻緒」を挿げることで、痛くなる心配はありません。

こんな言葉があります。「木の温もり、年輪を履く」。足の裏で会津桐の年輪の優しさを感じてもらいたいです。

下駄を履く時のポイントは、かかとを1〜2センチ出すこと。昔から粋な履き方と言われてきました。出したかかとが泥を受け止めてくれて、着物を汚さないための工夫なんです。

また、下駄を長持ちさせるコツは、左右を入れ替えて履くこと。下駄は左右のない唯一の履物です。脱ぐたびに左右を入れ替えることで、片減りを防ぐことができ、鼻緒にクセがつきません。

桐下駄が初めての方も粋に足元を装っていだければ、そんなに嬉しいことはありません。

下駄屋専用の「十能」という道具で
厚みと木肌を整えていく

四代目 師匠 黒澤孝司さん
インタビュー

五代目 孝弘さんに期待することは?

良質な会津桐は年々少なくなっています。本当に満足できる下駄は1万足に2、3足あるかないかです。良い材料の確保が難しく、下駄を履く人も少なくなってきている現状の中、生き残るには「良いものを作る」しかありません。

「数は少なくても良い物を作り続けろ」と息子には教えています。

原木の伐採から手仕事による仕上げ、販売までを一人で行える職人は全国にほとんどいません。息子は、試行錯誤しながら「会津桐」、「下駄」に向き合っています。やる以上は、たとえつまずいたとしても言い訳をしないでほしいと思います。そうすれば、その先に日本でもほとんどいない、すべてを一人で行える貴重な職人になれる可能性はあると思います。

弟子 黒澤 孝弘さん
弟子
黒澤 孝弘さん
師匠 黒澤 孝司さん
師匠
四代目 黒澤 孝司さん

取材を終えて

喜多方と言えば、札幌、博多と並んで日本三大ラーメンの一つ「喜多方ラーメン」が有名。黒澤さんのオススメが「うめ」。某有名店で長年修業をしたという大将が作るラーメンは、あっさりながらも奥深い味。

そんなラーメンを一緒にすすりながら、黒沢さんは「ラーメンのように気軽に下駄を履いてもらいたい」と熱く語ってくれました。

その眼差しから下駄に対する愛情を感じ、作品から優しさが伝わってくるのは、きっと履いてくれる人への思いが詰まっているからなのでしょう。

会津桐下駄

会津桐下駄

会津地方は古くから良質な桐の産地として知られ、「会津桐」は、江戸時代、会津藩が桐の植林が奨励したことに始まる。

夏は蒸し暑く、冬は厳しい寒さという会津特有の風土が育てた会津桐は、年輪の詰まった木目の美しさ、光沢、丈夫なのが特徴。

その会津桐から作られる「会津桐下駄」は、桐下駄の最高峰と称されている。

年輪が真っ直ぐに等間隔に入った「柾目」、足を乗せる台を合わせると年輪が繋がる「合目」が最高級品といわれる。