Ikeda Tadashi
1990年 奈良県生まれ
創業約160年を誇る池田含香堂に生を受ける。
幼い頃から祖父や、父の仕事を見て育ち 「いつか自分も団扇を作りたい」との思いを抱くようになる。
高校進学時に、3つ上の兄とどちらが家業を継ぐのか相談すると、兄は「自分には別の夢がある」と、快諾してくれた。
高校卒業後、すぐにでも職人として働きたかったが「仕事では学べない社交性を身に付けること、仲間を作ることも大切」という母からのアドバイスもあり、大学に進学。卒業後、正式に「池田含香堂」の六代目として職人の道を歩み始める。
透かし彫りの美しさ、見た目の華やかさに加え、非常に使い心地も良い団扇です。普通のプラスチックの団扇より断然軽くて、少ない力でたくさんの風を起こせます。そして、長持ちもします。だから、実用性と美しさが非常にいいバランスで融合している珍しい工芸品だと思います。
昔は、奈良では知らない人がいないくらい有名なものでしたが、今では昔程の知名度はありません。せっかくこれだけ美しくて素晴らしいものなので、かつてのように、もっともっと知ってもらうことが、1番の思いです。
良いものさえ作っていれば、お客さんが来るという時代は終わったと思います。これからは、良いものを作った上で、作っている人や、環境にも興味を持っていただけるように、自分から「発信する」努力をしていかなければなりません。奈良だけではなく、「日本の夏には奈良団扇がある」と世界中で言っていただけるような工芸品にしていきたいです。
先代(五代目・父)のことはあまり覚えていません。僕が小学校2年生のときに病に倒れ、他界してしまったので…。でも父は、作家気質だったようです。父の作品を見ると、その片鱗が随所に残っています。彫り方自体が本当にきれいで、丁寧です。そして、アイデアがすごく面白い。扇面に和紙ではなく絹を使っていたり、持ち柄も紫檀で作っていたり。良いと思えば、違う工芸品の部材を取り入れるなど、良い意味で常識外れな工夫もしていた人です。
そういう遊び心に溢れた作品を見ると、大人だけど、童心を忘れなかった人だったんだろうな、と感じます。
また、工芸の世界を盛り上げていこうという気持ちが強かった人です。自分で催しを開いて、他分野の工芸士とのつながりを大切にしていたそうです。当時、父と知り合った人達が、今でも、僕のことを気にかけてくれることが嬉しいです。そういう一つひとつが、父の残してくれた財産だと思っています。
職人としての良いところは、まじめなところです。私では気付かないような細かい所にもこだわっていて、四代目とも五代目とも違う個性を持っています。
団扇も、時代が反映されるものだと思います。彼が作るのは良い意味でゆとり世代の団扇。ゆるりとした感じが時代に合っているのではないでしょうか。
これからの時代にぴったりな性格の息子が継いでくれて、心から良かったと思っています。
元高校球児でエースだった匡志さん。当時は、人前に出て話しをするのが大の苦手だったそうです。奈良団扇の体験教室で人前に立ち、楽しそうに話す姿からは全く想像がつきません。
匡志さんを変えたのは、大学時代に取り組んでいたバンド活動。バンドでは、ギターとボーカルを担当。母の俊美さんも一度、ライブを観に行ったことがあるそうですが、息子の変貌ぶりに腰を抜かしそうになるほど驚いたそうです。
「人が〝これ〝と決めてチャレンジすることに無駄なことは無い!」と、母・俊美さんは思ったそうです。匡志さんも、「バンドをやらず、人前に立つ喜びを知らなかったら、この仕事は務まらなかったかもしれない」と言います。
人を喜ばせたいという思いが、より良い商品を生み出すことに繋がる。匡志さんはこれからも、奈良団扇の発展のためなら、どんなことでもチャレンジしていきたいと目を輝かせていました。
約1200年前に春日大社の神官が、儀式のために作ったのが始まりとされる。
その特徴は「透かし彫り」「骨の多さ」と「団扇のしなり」。
「小割の差柄」という技法を施された製法により、少しの力で扇いでもたくさんの風を送ることができる。
また、非常に軽く、伝統ある工芸品にも関わらず、使いやすさも兼ね備えている。
お座敷用装飾団扇など贈答用としても人気で、そのデザインの種類は100種以上。
今では池田含香堂、一軒のみがその伝統を支えている。