Sato Fusao
1980年 秋田県生まれ
純銀の細い線を用いて繊細な細工品を制作する秋田銀線細工職人。
20歳のとき、初めて秋田銀線細工の存在を知り、その繊細な技術に魅せられ秋田銀線細工職人になることを決意した。
飛び込みで弟子入りした師匠の元で15年間修業を積み、2015年に独立。現在は、依頼人からの要望、その人のイメージに合わせた作品をオーダーメイドしている。
20歳のとき、地元にある秋田ふるさと村で初めて実物を目にしました。秋田の伝統工芸品でありながら、初めて見たんです。
第一印象は、見たこともない細工品だったので、珍しいものというか、作り方が全く分からないというか。学校で習ってきたものとは全く違う感じの作りだったので、新鮮でした。
もともとシルバーアクセサリーが好きで、シルバーアクセサリーを作る職人になりたいと思い、高校卒業後、東京にある宝飾の専門学校に進学しました。学校では、銀を中心とした、いろいろな技術を学んでいたんです。
しかし、銀線細工は、名前が〝銀線〟ということから、銀で作っているのは分かるのですが、線で作っていることは想像できませんでした。
純銀で作っているので力を入れると曲がってしまいますが、それも考慮し、細工の中で強度を出すために色々な工夫をしています。
とはいっても、長年使っていれば、どうしても形は変わってしまいますし、銀ですから酸化して変色もしてきます。変色はやむを得ません。
しかし、銀線細工は線が入り組んでいるので、太い線のところと細かく入り組んだところとでは変色の仕方が異なり、それがメリハリとなって味わいが出てきます。
そして、秋田銀線細工は変色や若干の変形を修理できるのも特徴です。
〝いぶし銀〟も楽しんでもらい、それに飽きたら修理して白くする、という形で楽しんでいただけると嬉しいです。
秋田銀線細工の仕事をするには、彫金・鍛金・板金など、金属加工の技術すべてを習得していないとできません。細工をまとめるのも全部ろう接で行うため、簡単ではありません。
しかし、人の手でまとめて初めて人の気持ちが入るんです。手作りの良さはそこにあります。アンバランスがあっても良いから、気持ちの入った作品を作って欲しい。作品を作り続けているうちは戦いなんです。
〝これが俺だ!〟というものをマスターして出していって欲しいです。
また、担い手が減少していて、このままでは近い将来、秋田銀線細工ができるのは佐藤君ひとりになってしまいます。自分と戦うにはライバルも必要。切磋琢磨していける仲間を見つけて欲しいという期待もあります。
後継者が減少する中、15年もの間師匠の元で下積みをし、独立した佐藤さん。自身の工房で直向きに銀線と向き合う姿に秋田銀線細工職人としての決意を感じました。
宝飾の専門学校で学んでいたときは、不器用で製作スピードについていけず、〝自分はもの作りをする職人には向いていないかも…〟と悩むこともあったそうです。
しかし今は、「繊細で神経を使って妥協が許されない、そして、こだわりをもってコツコツ地道にできるこの銀線細工の仕事が楽しい」と話してくれました。佐藤さんにとって天職なんだ、そう感じました。
実は、筆者も秋田出身なのですが、お恥ずかしいことに秋田銀線細工の存在を知りませんでした。本当に素晴らしい技術です。秋田銀線細工に興味をもつ方がもっともっと増えてくれると嬉しいです。
秋田銀線細工の技は、江戸時代、貿易港のあった長崎の平戸にオランダ人から伝えられたと言われている。
そして、当時、平戸藩と秋田藩の江戸屋敷が近所で親交があったため、その技が秋田に伝わったとされている。そのため、秋田銀線細工の基礎となる細工技法は「平戸」と呼ばれている。
99・9%の純銀の線で作られているため、純銀ならではの白さが特徴。細工で使われる線の太さは、0・2〜0・3mmと細く、この細い線を撚り合わせ、様々な模様が作られる。
秋田県伝統的工芸品。秋田市指定無形文化財。