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日本剃刀鍛冶
稲垣良博

Inagaki Yoshihiro
2000年 神奈川県出身

幼い頃から庖丁鍛冶に憧れ、中学生・高校生の時に全国の刃物産地を巡った。そこで鉄を打つ職人たちの姿を見て、本気で鍛冶職人を志すようになる。
高校在学中に三条市の越後三条鍛冶集団研修制度に合格し、卒業と同時に三条製作所の水落さんに師事する。
日本剃刀は人の肌に触れるため、より高度な技術が必要とされる。その特異な伝統と技術を守るため、今日も鉄を打つ。

剃刀の土台を作る。
手作業で微調整をしながら伸ばしていく。
この作業が、仕上がりに大きな影響を与える。

稲垣良博さん インタビュー
幼い頃からの夢

鍛冶を知ったのは小学生の時。テレビで観た庖丁鍛冶が熱した鉄を打ち自在に形を変えていく姿が衝撃的でした。職人の炎を見る目、鉄を打つ背中、無駄のない動き、そのどれもがカッコいいと思い、それ以来、鍛冶が憧れになりました。縁あって親方の水落さんと出会い日本剃刀鍛冶としての一歩を踏み出しました。日本剃刀の小さな刃の中に鍛冶の技術が集約されていて「こんなに面白い刃物は他にはない」と実感しています。鍛冶になる夢は叶いましたが、まだ夢の続きがあります。それは、心地よく剃ることができ、長く愛用していただける日本剃刀を造ることです。

削っては確認し、確認しては削っていく。
鋼は、鋭さを増していきながら、輝きを放っていく。

鋼の性能を
最大限に引き出す

日本剃刀の材料は地金(軟鉄)と鋼です。これは鋼の弱点を補うだけではなく、鋼は貴重な資源のため「少ない鋼でいかに最高の刃物を造るか」という日本ならではの製法です。鋼はきちんとした熱処理を行うことで本来の性能を最大限に発揮することができます。しかし、少しでも見誤れば刃こぼれをおこしたり、切れない刃物になります。鋼を活かしてこそ良い刃物が生まれるのです。
さらに、人の肌に触れる日本剃刀は研ぎも高度な技術が必要で、肌を傷つけずに毛やヒゲだけを剃らなければなりません。自分が研いだものがお客様に心地よく使っていただけるように技を磨くしかありません。時間はかかるかもしれませんが、お客様を想い一丁一丁、心を込めて仕上げたいと思います。

稲垣良博さん
日本剃刀鍛冶
稲垣良博さん
水落 良市さん
三条製作所 三代目
水落 良市さん

三条製作所 三代目 親方
水落 良市さんインタビュー

科学を取り入れた鍛冶屋

工房の創業者 岩崎航介さんは「切れる刃物には科学的な理由がある」と、それまで職人の経験と勘だけに頼っていた刃物造りに科学を取り入れました。そして、その技術を受け継いだ二代目 重義さんは、品質で世界を驚かせました。そうした技術を受け継ぎ、次代に残さなければという想いを込めて「岩崎」の刻印を打たせてもらっています。工房には全国の理容所などから修理の依頼があり、どれも大切に扱われ、これからも使い続けたいという想いが伝わってきます。日本剃刀を必要としてくれる人がいる限り、辞めるわけにはいきません。今は稲垣君が技術を磨いてくれているので、未来は明るいと思っています。お客様目線のものづくりを続けていけば、一生使うことのできる良い日本剃刀が造れると思います。

取材を終えて

休日の工房に稲垣さんの姿がありました。創業者の岩崎航介さんや二代目の重義さんが製作していた時代の日本剃刀の修理をしていました。そこから当時の製法を学び、また使用した人の癖などを知ることで、現在の日本剃刀造りに活かせると話してくれました。まるで剃刀の刃を通じて先人と会話をしているかの様でした。
そして、修理をしては自分で使っているとの事。日本剃刀を愛でている鍛冶が本気で造ったものなら、お客様も心地よく安心して使えると思いました。 修理を終えた年代物の日本剃刀には新たな命が吹き込まれ、鋼が輝きを放っていました。その輝きは、炎の向こうに幼い頃からの夢の続きを見る稲垣さんの眼差しそのものでした。

日本剃刀

日本剃刀

剃刀は西暦538年ごろに仏教と共に伝来したとされ、元々は僧侶が頭髪を剃るための法具だった。
僧侶以外で初めて使用した人物は織田信長と伝えられ、武士の独特なヘアスタイル月代さかやきを整えた。それまでは毛抜きで頭髪を抜いていたが、以降、剃刀を用いて剃髪するようになった。明治時代には西洋カミソリが輸入され、替え刃式剃刀の登場により時代の波に淘汰されそうになるが、刃物造りに日本刀の製法が取り入れられ、日本剃刀は剃り味と肌あたりの滑らかさから、世界中のプロフェッショナルに愛され、その仕事を支え続けている。