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博多張子職人
三浦 智子

Miura Tomoko
1985年 鹿児島県出身

高校生の時に親の転勤により福岡県に引越し。そこで一般企業に就職し、師匠である三浦 隆さんの次男と結婚した。
その後、義母の看病や家事を行う中で、張子職人の後継者がいないことを知り、張子の作業を手伝うようになる。美術は得意ではなかったが、張子の個性的な魅力と作業のやりがいに惹き込まれていく。
師匠の下で修業をはじめて3年、技術の研鑽、知識の取得に努め、今では福岡市主催の体験講座や実演販売などを通じて、博多張子の魅力を積極的に広める活動を行うとともに、時代に合った新しい張子を生み出している。

達磨の型に和紙を張っていく。
皺にならず、厚みが均等になるように作業を行う。

美術経験
ゼロからのスタート

芸術とは全く無縁の世界で生きてきたので、色々なものを見て、吸収しなければいけないと思います。張子作りの手伝いをしはじめた時は、義父が貼ったものに白い絵の具を塗る作業をしていましたが、どんどん他の作業もやってみたくなって「教えてください」とお願いしました。
作り手としては、貼る、描く、売る、それぞれの作業に楽しさや魅力を感じていますし、どうやったら次の作業が綺麗にできるかといったことを考えるのも楽しいですね。
また、作品の顔は個性がわかりやすく出ますが、同じ型を使っていても和紙を貼る人が違うだけで全然違う形になるので、そういう作り手の個性が出やすいところにも面白みを感じています。

乾いた和紙を型から取り出す、型出し。
和紙がバラバラにならないように慎重に取り出していく。

博多張子の魅力

コロナ禍の時に「お義父さんが5代目ということは、初代から4代目までがいて、それぞれの時代で戦争や不景気を乗り越えながら一生懸命つないできたものなのに無くしてしまうのは勿体無い」と感じました。今は、色々な人に博多張子の魅力を知ってもらいたいと思っています。
また、実演で海外のお客様がいらした時に「縁起」や「幸運」というものは、世界共通で人を笑顔にできるものだと実感しました。私もお客様の笑顔を見て「自分は人をポジティブにするものを作っている」と前向きになることができますし、作品一個一個に気持ちが入りますね。

色をつけていく彩色。
下絵なしで、バランスを見ながら筆を入れていく。

令和の張子とは

博多張子は他の人形や工芸品と違って、デフォルメした面白さ、可笑しさがあるんです。それだけでなく「猿のお面」には「魔が去る」のような験かつぎや洒落っ気もあるんです。
そういった張子の魅力を無視して、ただ可愛い、若い人にウケるものを作っていたら、伝統からどんどん離れていってしまいますので、そのあたりも意識して試行錯誤しています。
義父や先輩方に「伝統工芸品です」と胸を張って言えないものは出せないですし、私の作品を見て博多張子を知った人に誤った認識を持ってほしくないので「これは博多張子と名乗っていいものなのか」という意識をいつも持って作業に臨んでいます。

三浦 智子さん
博多張子職人
三浦 智子さん
三浦 隆さん
師匠
三浦 隆さん

三浦 隆さん
インタビュー

3年前に私の女房が亡くなったのですが、和紙を貼る仕事を主に任せていましたから本当に困りました。毎年、松囃子の鯛は作らないといけないので…。
そんな時に、智子さんが「やってみたいです」と言ってくれたんです。でも、やってみたところで嫌になるかもしれないし難しい作業もありますから、実際にやってもらって決めてもらおうと思いました。
智子さんが意欲的にやってくれて本当に助かりました。
今では、柔らかくて優しい顔のだるまを描きますし、新しい商品も今の人の考え方を意識して作ってくれています。
本人には言っていませんが、本当に嬉しいですよ。

取材を終えて

まだ「博多張子職人」と名乗れるレベルではない、と謙遜していた智子さん。
手伝いからはじめて3年目、職人歴としては浅いかもしれませんが、伝統の技法を忠実に、一つひとつの工程を丁寧に仕上げていく様子を見ていて、博多張子職人としてのプライドと、先代たちが守り続けてきた博多張子を絶やしてはいけないという強い想いを感じました。
一方で「作っていて楽しくない、気分が乗らない時は作らない!」という潔さもあります。
すべての工程を楽しんでいるからこそ、手に取る人をほっこりと幸せな気持ちにさせてくれる作品に仕上がっているのだと思いました。
博多張子だけでなく、型に使う粘土の採取や、張子に適した「ふのり」を採取してくれる漁師さんについても後継者がいないなど、これからの心配事は少なくないようですが、智子さんなら多くの人を巻き込んで、力を合わせ乗り越えてくれると信じています。

小代焼

博多張子

福岡県知事指定の民工芸品。
張子の技法は室町時代に中国から大阪・京都付近に伝わり、江戸時代に関西の人形師が博多で広めたと言われている。
木や粘土の型に和紙を張り付けて型から抜いて作ることから「張子」の名がついたとされ、中が空洞で軽いことから、縁起物や郷土玩具など様々なものに利用されてきた。
博多でも他の地域と同様、虎や鯛・お面が作られるが、博多張子の代表的な工芸品は、「男だるま」と起き上がりの「姫だるま」。
祈願だるまと違って目が描かれており、松竹梅が描かれて金粉が施されている。
姫だるまは「七転び八起き」を意味する正月の縁起物で、男だるまは商売繁盛の縁起物とされている。

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