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江戸和竿職人
鴨下 貴仁

Kamoshita Takahito
1987年 東京都出身

東京都府中市出身。子どもの頃から釣りが大好きだった。中学生のある日、地元で工房を営んでいた「竿敏」の和竿との出会いをきっかけに和竿職人を志す。
高校入学後すぐに4代目竿治(糸賀一隆さん)に弟子入りするが、親方の言いつけにより、大学を卒業するまでは学業との二足の草鞋で修業に励んでいた。
弟子入りから5年、鴨下さんが20歳を迎えた時に親方が他界。親方の言いつけ通り大学を卒業し、22歳の時に「竿貴」の屋号で独立した。
細やかな仕事と美術的センスの高さから、釣り人たちの注目を集める江戸和竿職人である。

天然の竹は、曲がっていたり反りがある。
「火入れ」をすることで真っ直ぐに仕上げていく。

鴨下 貴仁さん インタビュー
こだわりが生み出す一本

良い竹に出会うためには何日でも薮に入って諦めずに探し続けます。竹だけではなく漆や、火入れに使用する炭も試行錯誤を繰り返して選び抜きました。 必要な道具が売っていなくて自分で作ったこともありました。
竹を加工することだけでなく、材料を探したり、色々な道具を試したりするのも職人の大切な仕事であり、そういうところの手間をかけたり、時間を使うことが良いものを作ることに繋がっていきます。
狂いなく塗りが美しい「完璧な竿」を目指していますが、それには今できる精一杯の仕事を積み重ねていくことしかないと思っています。

竿の継ぎ目を作っていく。
目指す継ぎ目は、抜きやすく、抜けにくいこと。

先人に学ぶ「竿作り」

親方をはじめ影響を受けた竿職人はたくさんいます。材料の美しさを引き出している竿が好きなのですが、意匠に関しては特に「初代 竿忠」の竿に影響を受けました。
初代 竿忠のお客さんに茶道を嗜んでる方がいて「侘び寂びを取り入れた竿を作ってほしい」との注文を受け作られた竿があるんですが、立ち枯れの胡麻竹を模して黒漆で胡麻模様が打ってあり、 塗りで陰影が付いていて「カッコいい」って思いました。
親方から「あと一手間で美しくなるのであれば、その一手間を惜しまないでやりなさい」と言われていたんですが、この竿を見てその大切さを実感しました。

「漆塗り」は、職人の美的センスを発揮するところ。
名だたる名人たちも、ここに神経を注いできた。

繋がりを生み出す竿

親方からは弟子としてたくさんの技術を教えていただき、人として大切なこともたくさん教えていただきました。技術が身に付いてきた頃、親方から「弟子を最低一人はとりなさい」と言われました。 親方から教わった様々なことを次の世代に繋いで、江戸和竿を未来に残していきたいです。
職人の道は決して易しいものではありませんが、僕は親方に弟子入りしてから20年経った今でも毎日が楽しいです。
見た目が完璧な美しさを追求することも大切ですが、お客さんが求めているのは「いっぱい釣れる竿」です。お客さんが「いっぱい釣れたよ!」と楽しそうに話す姿を見るのは、とても嬉しいですね。

取材を終えて

生涯をかけて仕事に打ち込む。鴨下さんはまさにそんな姿を体現している職人だ。
初めて工房に伺った時、空間のほとんどが竹と細工道具で埋められ、まさに足の踏み場が無いことに驚いた。しかしよく見ると、刃物類や電動工具、漆もすべてが場所を与えられ、 効率を考え整理整頓されていた。
仕事に取り掛かるときは、その都度必ず手を洗い、手の汚れや塩分を落とす。刃物が錆びるのを防ぐとともに、漆塗りで埃を入れないためだ。鴨下さんは手を抜くことはない。彼の作った江戸和竿を見ればそれは一目瞭然だ。
工房には彼の手によって江戸和竿となる日を待つ竹が眠っている。名人の江戸和竿が見られる日もそう遠くないだろう。

小代焼

江戸和竿

東京都を中心に千葉県、埼玉県など関東地方で生産されている釣り竿。
異なる種類の短い竹を組み合わせて一本の竿を作る継ぎ竿で、淡水から海水まで魚種によって専用の竿が存在する。
竿の補強剤として用いていた漆に装飾性を持たせていったことで伝統工芸品「江戸和竿」が生まれたと言われている。
1788年、江戸和竿職人の元祖とされる「東作」が上野に創業。その後、東作の弟子たちが独立して現在の系譜につながっている。
グラス製やカーボン製の竿に需要が移ったことや、後継者不足で工房の廃業が進んでいるが、職人がオーダーメイドで作る釣竿は、今も国内外の釣り人を魅了している。

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