Furusawa Kano
1996年 兵庫県出身
在学中のインターンシップで株式会社五十嵐製紙を訪れた際、間近で和紙作りを見て衝撃を受けたことが入社のきっかけとなった。
伝統工芸士である五十嵐美佐子さんや匡美さんといったベテランの紙漉き職人たちに教わりながら着実に技を身につけ、入社から6年が経った現在は、多岐にわたる仕事を任されている。
また、創作和紙の製作にも力を入れており、和紙の魅力を伝えるために日々研鑽を重ねている。
6年間の経験から気温や作る和紙の厚さに合わせて漉槽の中身の割合を変えたり、漉いたことのない和紙を作ることになっても、戸惑うことなく、自分で考えられるようになりました。
教えてもらうだけでは身に付かないこともあるので、失敗した時は何が悪かったのかをすぐに見つけ、できるだけ早く改善していくように心掛けています。
匡美さんとペアを組んで襖紙を漉く機会があるのですが、とても勉強になります。匡美さんの技術を目の当たりにすると「自分もこんなふうに素早く、均一に漉けるようになりたい」って思いますね。
和紙作りは飽きません。毎日楽しく作業ができます。
私が創作和紙の柄を考える時は「お客さんが手に取りやすい和紙」ということを念頭に置いています。
匡美さんは柄の技法に関する知識もすごい豊富で、アドバイスをいただくことがたくさんあります。
ほんの少しの加減で全然変わってくるので、教えていただいたことはどんどん試して、いつか、越前和紙の技法を全部取り入れた和紙を作ってみたいです。
まずは、越前和紙の基礎的な技術をもっともっと上達させることです。その上で、模様や応用的な技術についての知識や理解を深めていきたいです。
同年代の友人たちには「和紙は昔のもの」というイメージが強いみたいですが、私は和紙が今の生活にもっと密接に関わっていて良いものだと思っているので、工芸展では日常的に使いやすい和紙製品を作って出品しました。
これから、和紙をもっと日常生活の中に浸透させていけたらいいなと思っています。
「フードペーパー」は、次男の夏休みの自由研究から生まれたもので、今では会社の製品として和紙の原材料不足を補う目的で作っています。
子どもや若い人の発想というのは本当に面白いので、新しいものは柔軟に取り入れるようにしています。
私たちは「紙漉き」という仕事だけをやってきましたが、花乃さんは描き手・使い手の気持ちがわかる職人です。
和紙を使いたい人がどんなものを求めているかを知っていますし、発想力がとても優れているのでいつもびっくりさせられます。将来どんな和紙を作り出すのか、とても楽しみな職人です。
そして、伝統工芸は後継者不足が深刻な問題です。花乃さんのように頑張ってくれる若手が入ってきてくれると、若い人たちへのPRを続けてきて良かったと思います。
伝統工芸を取材していて常に感じるのは、職人さんが皆、新しいことをやっていこうという気概を持っていることだ。「先人のやり方をそのまま踏襲しているだけでは廃れていく一方だ」と多くの職人が語っている。花乃さん の働く五十嵐製紙も働き手の皆がそんな思いを持った工房だった。
花乃さんはとりわけ越前和紙の新たな可能性を感じさせる職人だった。黙々と、そして生き生きと工房を立ち回り、和紙を漉いていく。また、職人として一枚でも多く、質の高い越前和紙を作ろうとする姿勢。日本画で学んだ知識と越前和紙の技法を駆使して創作和紙を作る様子。それらを見ていると、先人達もきっとこうして新しい技術や表現を生み出していったのだと思う。
花乃さんの作る新しい越前和紙を早く見てみたい。そう思わせる取材となった。
福井県の越前市の五箇地区(越前市の岡太神社・大瀧神社を中心とした5つの集落からなる地域)で栄えた伝統産業。
発展の歴史には諸説あるものの、日本に紙が渡来した4~5世紀頃には既に越前和紙が作られていたと言われている。
その後、寺の僧侶たちの写経用紙として需要が高まり、さらに公家武士階級が紙を大量に使いだすと紙漉きの技術・生産量も向上し「越前奉書」など最高品質を誇る紙の産地として幕府、領主の保護を受けて発展していく。
明治時代には政府が発行した太政官金札用紙が漉かれ、印刷局紙幣寮が設置された。
現代も襖紙から名刺、ハガキといった日常使いのものから、越前奉書紙など格式の高い紙まで幅広く作られている。