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木版摺更紗 染織家
鈴田 清人

Suzuta Kiyoto
1993年 佐賀県出身

祖父は鍋島更紗の技法を研究し復元させた鈴田照次、父親は木版摺更紗の染職技法で重要無形文化財保持者(人間国宝)となった鈴田滋人。
毎年、伝統工芸展の展示で父の作品を見るたび跡を継ぐことを漠然と考えていたものの、工房に立ち入ることが許されず、父が作業をする姿を実際に見たのは大学在学中であった。
大学卒業後、一子相伝の技法を受け継ぎ、木版摺更紗の染織家として作品作りに励んでいる。
植物のスケッチから起こしたパターンデザインは高い評価を受けており、2023年に第70回日本伝統工芸展で新人賞を受賞した。

スケッチしたものから
熟考に熟考を重ねて形をデザインしていく

模様の魅力

大学を卒業して父の仕事を手伝い始めた時、芸術的な楽しさや面白さよりも「伝統を守る」という言葉が第一にあって、結構悩んでいました。
そんな時に、日本のものではなくポルトガル建築の「アズレージョ」の写真を見ました。
白地に青で描かれた幾何学模様がとても美しくて、「模様にこんなに人の心を満たす力があるんだ」ということを実際に感じました。ポルトガルの建築と日本の着物は全く違うもののように思われるかもしれませんが、模様の美しさを表現していくというのは世界共通なんだと思いました。
人工物ではなく草花などの自然のものをモチーフにするのは、ものは全て自然から生まれているからです。
四季の素晴らしさや自然の美しさを、模様にすることで身近に感じていただきたいですね。

※ アズレージョ・・・ポルトガルやスペインの建築で見られるタイル装飾。

模様の輪郭を描く工程。
2種類の濃度が違う墨を使い、染める。

工芸品としての更紗

自分の腕だけで勝負するので、上手くいくのも失敗するのも自分次第です。
楽しさと辛さが表裏一体になってると思います。
工芸品なので、展示や納品は一旦のゴールではあるのですが、着ていただいだくことで本当の完成になります。
着た感想をいただけるのが一番嬉しいですので、まずは着たいと思っていただけるような作品を目指していきたいです。
伝統はあくまで技法や品名であって、僕の仕事は「どう表現するか?」というところを求められているんだと思います。
「最盛期の江戸時代の作品はすごいね」って振り返るばかりではなく、新しい表現に挑戦していく職人でありたいです。
技術的な方面でも「これでいい」と思った瞬間に自分の技術の成長が止まる気がします。そう言った意味で「自分への挑戦」はこれからも止めずに続けていきたいです。

型紙を使い分けて
美しいグラデーションを生み出す。
鈴田 清人さん
木版摺更紗 染織家
鈴田 清人さん
鈴田 滋人
重要無形文化財「木版摺更紗」
保持者(人間国宝)
鈴田 滋人さん

重要無形文化財「木版摺更紗」
保持者(人間国宝)
鈴田 滋人さん インタビュー

抽象的な模様をつくる場合は、モチーフとなった物の形を正確に理解していることが大事です。見るだけでなくスケッチすることで、自分の手で三次元から二次元に次元を変えさせるわけです。
作業に関しては私と清人で変わらないですが、スケッチからデザインのところは次元を変えるときに本人がどこを見たかというのが大きく影響してきます。
職人というのはものづくりが好きなことが大前提ですが、多くの職人は「自分が守る」 「自分が伝える」という使命感を抱えているんじゃないかと思います。
かつて鍋島更紗が一度途絶えたように、ただ作品を作るだけならまた途絶えてしまう。
デザインや表現について常に勉強を続けて、新しいことをどんどん取り入れていかなければと感じています。「木版と型紙で自分はどこまでやれるか」という挑戦は、私も清人も変わらないです。

取材を終えて

木版摺更紗のものづくりは、大きく分けてデザインとパターンの構築と、実際に染める手仕事の2つに分けられる。計算され尽くされた構成力とそれを実現する技に圧倒された。集中力、筋力、緻密な動き、体力・・・脳と体、全てを使って染めるからこその迫力が作品に宿るということを実感できた。
今回の取材は、清人さんの集中を乱さないために撮影の大部分は一人で臨んだ。清人さんはすこし恥ずかしがり屋の普通の30代。一人で撮影する私に気も使ってくれる。ただ作品への想いは常人を超えた域に到達している。そこにあるのは、今までにない模様を作りたいという強烈な思いと、模様への愛。同じモノづくりを志すものにとって、欲求と愛が溢れる状態を維持できる心に強く惹かれた。
そんな清人さんの模様が、着物だけでなく町中に溢れると世の中に少し愛がプラスされるに違いない。そんな世界を見てみたい。

越前和紙

木版摺更紗

更紗とは木綿地に多色で文様を染めた布製品。世界的な発祥は紀元前3世紀ごろのインドとされ、日本には16世紀ごろ持ち込まれた。
その美しさは多くの権力者たちを魅了し、江戸時代には各地で和更紗が作られるようになる。
木版摺更紗のもとになった鍋島更紗も他の和更紗同様に江戸時代から作られ始めたが、技法の核心が口伝のみで伝えられていたこともあり、1871年(明治4年)の廃藩置県の後、一旦は途絶えてしまう。
1959年、鈴田清人の祖父・鈴田照次が鍋島更紗の技法を復元させるべく、秘伝書と見本帖の研究を始め、1972年に「木版摺更紗」としてよみがえらせた。

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