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太鼓職人
福藤 亜耶香

Fukuto Ayaka
1989年 広島県出身

広島県三次市で200年にわたって太鼓を作り続けてきた福藤太鼓店の七代目。
社会人になった当初は店を継ぐ気は全くなく、地元の企業に就職した。
三次神楽の鑑賞が趣味の上司から、「神楽の太鼓の音が好き」と聞き、観客もまた自分のお客さんなんだと気がついた。
コロナ禍で神楽や祭りの中止を目の当たりにするうちに、「太鼓の演奏を待っている人のために自分も役に立ちたい」と思い、家業を継ぐことを決意する。
太鼓作りを学び始めて4年目。意欲的に太鼓作りに取り組み、次々と技術・知識を身につけている。

桶胴太鼓の打面作り。
穴を空けた革に、紐を通していく。

心に響く音

小さい時は店で父の真似事をして、トンカチを持って遊んでました。
何しても怒らないで「やってごらん」って言ってくれました。それが今なんでも楽しくできることにつながっているんじゃないかと思います。
だんだん年齢と共に工具遊びもしなくなって、「将来は手伝いたい」とかそういうことを思うこともなかったんですが、しばらく地元の会社で働いて「跡を継ぎたい」って思った時は最初に母に「手伝うよ」と連絡をしました。
暑い・寒い・重い・硬い…そういうことは全部わかって覚悟の上で来たので、「思ってたのと違う」とか「思いの外しんどい」みたいなギャップもありませんでした。
あるとしたら、「意外と時間がかかるな」っていうことぐらいです。
私がやらないと途絶えてしまうので、早く一人でなんでもできるようになりたいです。

乾燥させた打面を桶にはめ、
略亀甲締めという締め方で綱をかけていく。

修理で出会う、
「歴史」の数々

修理は全国から送られてくるのですが、いろんな太鼓屋さんが作った太鼓を見ることができるのがとても勉強になります。
太鼓は内側の見えないところに、太鼓が完成した日や前回の修理日、作業した職人の名前などが書いてあるんですが、修理でお預かりしている太鼓を開けた時にそれを見るのが少し楽しみです。
明治や大正の時代に作られた太鼓でも綺麗に鳴っていたり、作った職人や前の修理をした職人のこだわりや気遣いが感じられると、いい楽器の歴史を感じずにはいられません。
今だと機械でやる作業もかつては手作業で行っていて、手作業の時にだけつく跡を見つけたりすると「すごいな」と思います。
自分も将来見られた時に『福藤の太鼓はしっかり作ってあるね』と言われたいです。

福藤 亜耶香さん
福藤 亜耶香さん
福藤 雅之さん
父 福藤太鼓店 六代目
福藤 雅之さん

父 福藤太鼓店 六代目
福藤 雅之さんインタビュー

今、亜耶香が仕事を始めて4年ですか。自分が4年ぐらいの時よりは遥かに出来がいいですよね。
飲み込みが早くて、作業は一通りできるようにはなっていますけど、「どんなものでも」という対応力はこれからの経験によってできていくと思います。
特に革の扱いは、個体によっても違うし季節でも変わりますから、経験を積むしかない。 革を触った時の「勘を磨く」っていうんでしょうかね…そういったところを頑張っていってほしいです。
太鼓屋は裏方の仕事で、太鼓屋の失敗は演奏をするお客様に迷惑がかかります。それをわきまえて確かな仕事をすることが求められますが、亜耶香は独り立ちしてもそういうことを忘れないでほしいですね。

取材を終えて

伝統を受け継ぎ、後の代に繋ぐのは大変なことだ。
それが親から子へと代々続いてきた場合、なおさらだろう。
福藤亜耶香さんは覚悟を持ってその重責を引き受けた。
工房は長年、地域の文化を支えてきたが、その責任もまるごと引き受けたのだ。
「父から娘」は、番組でもそこまで多くない師弟関係。
娘の亜耶香さんは親子の気軽さから細かい部分も漏らさず尋ね、その理由を何度も聞くが、父の雅之さんは何度聞いても決して怒らずに教える。
雅之さんは亜耶香さんを見て「覚えがいい」と言っていたが、臆さずに何でも聞けるからこそ、亜耶香さんも職人としての仕事ができるようになったのだろう。今回はそんな親子の姿が見られた撮影だった。
これから亜耶香さんは七代目を継いで、文化を支える職人としてますます責任を感じていくだろうが、同時に技量も磨き、仕事が面白くなるに違いない。
父を超えるのはいつか?八代目に技術を伝える日も将来、やって来るかもしれない。大いに期待したい。

小代焼

太鼓

太鼓は構造および使用する動作の単純さから最も原始的な楽器であり、世界各地に紀元前から存在している。
日本での太鼓の起源は縄文時代とされており、縄文土器に動物の皮をかぶせて紐で固定したものが始まりだと言われている。
5世紀〜6世紀ごろに作られた古墳から太鼓を叩く姿を模した埴輪が出土しており、その頃すでに儀式に使用されていたと考えられる。戦国時代には戦場で命令伝達をするための「陣太鼓」が登場する。
その後、日本各地で祭り囃子や踊りのお囃子が生まれ、楽器として発達。江戸時代になると歌舞伎が始まり、効果音としての役割を果たすものも登場。多彩な音階や音色のものが存在している。

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