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京版画彫師
野嶋 一生

Nojima Kazuki
1988年 京都府出身

祖父は油絵画家、父は西陣織作家という家庭に生まれ、芸術を身近に感じながら育った。
もともと絵を描くことは好きで得意だったが、中学生の時に自分の画力で勝負したいという気持ちがふくらみ、高校・大学は芸術専門の学校に進学する。
大学在学中から竹笹堂に出入りし彫師の仕事を専門的に学んでいくが、竹笹堂に彫師がいなかったため、藤澤洋氏(現代の名工・黄綬褒章受賞)に師事、大学卒業と同時に竹笹堂に入社する。
歴史ある寺社仏閣から依頼される神仏画の版木や、有名な浮世絵の復刻などの伝統的な絵画の版木から、モダンアートやデジタルアートが元になった現代的な絵画の版木まで幅広く手掛ける。

板に絵を貼る作業。
紙を剥がすタイミングは、経験がものを言う。

木版画彫師の仕事

彫師は、ものすごく簡単にいうと「絵師さんが描いた元の絵を版木にする仕事」なんですが、彫師の意思や意見を絵に入れるのではなく、あくまでも忠実に彫るのが仕事です。
版木は「版画の道具の一つ」という見方ができますので、版木だけでは作品にならないですよね。
木の板に、絵師さんが持つ筆の力を反映させるっていうのが一番近いですかね。僕は「線に体が反応する」って表現するんですが、絵師さんがどこで筆を返したのか、また「はらい」のどの部分で筆圧が変わるのか、そういうのを彫りで表現します。
修復や復刻の仕事では、元の版木を彫った人が何をどう考えて彫ったかを大事にしています。僕が手を加えたことによって変わってしまってはいけないので、前の人の彫り損じもそのまま再現することもあります。

彫りでは、彫刻刀を使い分け、細かな動きで線を刻む。

伝統を絶やさないための挑戦

京版画は伝統工芸品ではあるんですが、僕は伝統的な筆などで描かれた絵だけではなく、クレパスで描かれた粉っぽくて粒感がある線、デジタルアートの線、いろいろな線を彫らせていただいてます。
自分で描いた絵を彫って、摺りまでやるような作品も作っていますが、最近は単色で摺った線に筆で彩色を入れていくのに凝っています。これは浮世絵版画の初期に興った技法なんですが、なかなかやってる人がいなくてやってみようと思いました。
自分のオリジナルは「見た人があっと驚くような作品を作っていきたい」って思っています。
彫師としてでもあるのですが、絵画に携わる身として、緻密で繊細な線が広い面積にびっしり彫られているようなものを作ってみたいです。例えば屏風とか襖みたいな、空間を占有するようなものに挑戦したいですね。

野嶋 一生さん
京版画彫師
野嶋 一生さん
竹中健司さん
竹笹堂 代表取締役
竹中 健司さん

竹笹堂 代表取締役
竹中 健司さんインタビュー

僕は摺師としてずっとやってきたのですが、いい彫師とは、すなわち「摺りやすい版木を作れる人」と言うことができると思います。
一見、絵師さんの絵を忠実に彫れているようでも、彫る時にためらいがあると木がガタガタになって、摺る時に引っかかるようになります。見た目じゃわからなくて、実際摺らないとわからないんです。
ひっかかりがある版木だと摺りながらカバーリングをしなければならなくなるので、こちらも気を遣って思ったように摺れなくなるんですが、その必要がない良い版木だと、摺る側ももっと高みを目指した摺りができるわけです。
一生かずきの版木は細い線でもためらいなく彫ってあるので、摺ってて引っ掛かりがなく滑らかです。
一生には次の世代に技を残していける彫師になってほしいですし、なっていけると信じています。

取材を終えて

木版画といえば浮世絵が有名で、浮世絵といえば広重や北斎などの絵師が注目されますが、木版画の出来を左右する鍵を握っているのは彫師だと思っています。その作業を撮影できたことは、貴重でした。
3Dプリンターで版木を作ることは理論上は可能です。しかしそれは単なる複製であり、絵に込められた思いや線の微妙な違いまでを表現することはできず、彫師の手が入ってこそ、木版画の良さがあるのだと改めて感じさせられました。
野嶋さん曰く、絵をなぞって彫っているのではなく、一本の線を彫り続けることで、結果として絵が現れるのだと。小刀の研ぎをマスターするのに3年かかるということからも、線への向き合い方、こだわりの強さが感じられます。
竹中さんはそんな野嶋さんのことを「我が無くて良い彫師」と評価していました。
京版画の伝統を守りながらも、木版画の新時代を築いてくれそうで楽しみです。

小代焼

京版画

木版画のうち、京都府知事指定の伝統工芸品を指す。
木版画は6世紀半ばごろ、仏教とともにに伝わり、僧侶・神職の修行の一環として神仏画の版画づくりが行われるようになった。平安時代以降は、宗教、芸術、文化の中心地として栄えていた京都が、国内最大の木版画の産地となる。
京都では本阿弥光悦や俵屋宗達など琳派の影響を受け、貝殻を砕いて作る「胡粉」や鉱物を砕いて作る「雲母きら」などを用いた、優美な版画が登場。絵筆で描いたような立体感や毛筆の濃淡の表現が特徴的である。
江戸時代になって浮世絵が登場すると、現代のデザイナーに相当する「絵師」、絵師の絵を元に木版を彫る「彫師」、印刷をする「摺師」の分業体制になっていく。

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